金と同等の価値があった香辛料「シルフィウム」が消えた理由

植物

シルフィウムと呼ばれる植物は、古代ギリシャやローマで薬や調味料として重宝され、金と同じくらいで取引されるほど非常に高価な存在でした。

しかし、この植物は時代が下るにつれて記録に現れることが少なくなり、次第にその存在が確認できなくなっていきます。それではなぜこれほどまでに貴重とされた資源が姿を消したのでしょうか。本記事は古代の記録や最新の研究を手がかりに、その背景と要因をたどっています。

この記事の要約

  • 古代ギリシャ・ローマで金と同価値で取引されたシルフィウムは、調味料・医薬・避妊薬など多用途に活用され、キレネ都市の繁栄を支えた希少植物だった。
  • 過放牧・過剰採取・経済的対立に加え、気候変動や農耕拡大による環境変化が複雑に絡み合い、1世紀頃までに事実上姿を消したとされる。
  • 正体は長らく不明だったが、2021年にトルコで発見されたフェルラ・ドゥルデアナが古代文献の記述と多くの点で一致し、有力な候補として注目されている。

シルフィウムとは

シルフィウムは太い根と短い葉、小さな黄色い花を持ち、さらに特徴的なハート形の果実をつけていました。古代の人々はこの果実に愛や豊穣の象徴として特別な意味を見出していたと考えられ、現代でもよく使われるハートマークの起源として語られることがあります。

ギリシャ人はシルフィウムをシルフィオンと呼び、葉をマルペトゥム、茎をマスペトゥム、茎や根からとれる樹脂をレーザー、根をマグダリスというように、部位ごとに異なる名前をつけていました。古代ギリシャの植物学者テオプラストスは、シルフィウムについて、黒い皮に覆われた太い根を持ち、中が空洞になった茎が50センチほどの高さまで伸び、セロリに似た黄金色の葉をつける植物であると記しています。また、快い香りをもつ貴重な樹脂を生み出し、その価値は重さにして金と同じくらい高価だとされていました。

シルフィウムの利用

L’orso famelicoCC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

シルフィウムは古代において医療だけでなく料理の世界でも非常に高く評価された、多用途の植物でした。茎や根に切り込みを入れると、香りの強いねばりのある液体がにじみ出ます。人々はこれを集めて固め、小麦粉などと混ぜて保存し、調味料として利用していました。固まったものはすりおろして料理に振りかけると、深い香りと風味を与えることができ、ギリシャ・ローマ料理には欠かせない存在だったと伝えられています。

さらに、シルフィウムは調味料だけでなく植物そのものも食材として用いられました。茎は焼いて食べられ、根は酢とともに調理されるなど、あらゆる部分が活用されていました。

また、シルフィウムは家畜の飼料としても優れており、これを食べた羊は肉質が柔らかくなると信じられていました。繊細な花からは香料が抽出され、香りの素材としても利用されていました。

シルフィウムは古代において特に医療面で重要視されていました。なかでも最もよく知られていたのは、避妊・堕胎・月経に関わる用途です。1から2世紀の医師ソラヌスは、シルフィウムの煎じ薬が月経を促すのに有効であると述べています。また、汁を水で薄めて月に一度飲めば避妊になり、妊娠を中断させる効果もあると記録しています。

さらに、紀元前1世紀の医師アスクレピアデスは心臓病の治療にシルフィウムを処方していました。

古代ローマの博物学者、大プリニウスは『博物誌』の中で、シルフィウムを用いた39種類もの治療法を挙げており、その用途の広さがうかがえます。

紀元前5世紀頃の古代ギリシャの医師ヒポクラテスもまた、咳、喉の痛み、発熱、消化不良、痛みなど、多様な症状に対してシルフィウムを用いていました。彼は種子・葉・根の汁を単独で、あるいはザクロジュース、ワイン、乳、酢、水などと混ぜて湿布として使う方法を紹介し、さまざまな疾患に役立つと述べています。

生息域

シルフィウムは現在のリビア北東部にあたるキレネを中心とした「キレナイカ」地方にのみ生育していたとされ、ほかの地域ではほとんど見られない、非常に特異な植物でした。

古代の記録によれば、その自生範囲はおよそ200kmほどだったとも言われ、特にシルフィオフェラやシルティス湾周辺では豊富に見られたと伝えられています。これらの地域は南側の砂漠地帯よりも降水量が多く、丘陵や草地が広がるシルフィウムに適した環境でした。

一方で、歴史家ヘロドトスは、シルフィウムの分布がプラテア島からシルティス湾に至る約350kmに及んでいたと記しており、さらに別の史料では、トブルクからエル・アラメインにかけて700から800kmに広がっていた可能性も示唆されています。このように記録には幅がありますが、いずれにせよシルフィウムは北アフリカの限られた地域にしか自生しない、きわめて希少な植物だったことは確かです。

シルフィウムが生まれたとされる伝承

See page for authorCC BY 4.0, via Wikimedia

キレネはおよそ2600年前、古代ギリシャ人によって建設された植民都市でした。地中海沿岸に広がる肥沃な土地を求めてギリシャ人が移住し築いたこの都市は、やがて周辺地域の中心地としてさかえていきます。

キレネの人々は都市の建設の7年前に、シルフィウムが突然姿を現したと語り伝えています。伝承によれば、シルフィウムが初めて現れたのは、ローマ建国から143年目の年のことだといいます。その年、アフリカの大地の広い範囲に、黒い雨が突然降り注いだと伝えられています。すると、大地は一気に湿り、その直後からシルフィウムが一斉に芽吹き始めたのです。まるで天からの贈り物のように、突然大地に生まれ落ちた植物シルフィウムは、古代の人々に強烈な印象を残し、その神秘性ゆえに特別な存在として語り継がれていきました。

この植物はごく限られた地帯にだけ自生するうえ、他の土地では育たなかったため、その希少性そのものが大きな価値を生み出していました。シリアやギリシャで栽培を試みても成功しなかったという記録が残っており、キレネの土地だけがこの植物を育てることができたのです。

シルフィウムはその希少性と多用途性から非常に高い価値を持ち、キレネの主要な交易品として都市の繁栄を支える存在でした。紀元前7から6世紀にキレネが大きな富を築けた背景にも、シルフィウム製品の取引が深く関わっていたとされています。その価値は重さに換算すると金と同程度とも言われ、キレネの貨幣にはシルフィウムの姿が刻まれるなど、都市の象徴として扱われました。また、内戦期には独裁官カエサルが公共金庫から金銀とともに、約490kgものシルフィウムを持ち出したと記録されており、国家レベルで管理されるほど重要な資源だったことがうかがえます。

厳しい取り決め

その価値の高さゆえに、シルフィウムの採取や管理には厳しい取り決めがありました。どれほど切り取ってよいかは、その年の植物の供給量や過去の採取量を踏まえて細かく定められており、勝手に多く採ることは許されませんでした。採取の方法にも決まりがあり、誤った手順で切り取ることも禁じられていました。こうした規則が設けられていたのは、シルフィウムの樹脂が非常に繊細で、採取後に適切に扱わなければすぐに腐敗してしまうためでもありました。

絶滅の時期

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23年 – 79年8月または10月25日頃(推定))

それほどまでに厳重な管理が行われていたにもかかわらず、シルフィウムは次第にその姿を見せなくなっていきます。大プリニウスが「すでに絶滅した」と記していることから、一般にはシルフィウムは西暦1世紀のうちに姿を消したと考えられています。

しかし、一世紀以降にもシルフィウムの樹脂やその効能についての言及が残されており、特にヨーロッパやアラブの文献では、料理や薬としての価値が長く語り継がれていました。さらに、5世紀初頭には、キレネ出身の司教シュネシオスが、シルフィウムがまだキレネで生育していたと述べ、友人に樹脂を送ったという記録もあります。この証言は、シルフィウムが少なくとも5世紀頃まではどこかで生き残っていた可能性を示しています。

また、古代の著述家たちによって、キレネ周辺では絶滅したとしても、中央アナトリアなど別の地域で細々と生き延びていた可能性も指摘されています。このように、シルフィウムがいつ完全に消えたのかははっきりしておらず、1世紀に絶滅したという従来の見方と、5世紀頃まで存在していたという文献証拠のあいだには大きな隔たりがあり、いまだ決定的な答えはなく、その消失の時期は現在でも謎のままです。

なぜシルフィウムは絶滅したのか

シルフィウムの消失は、古代から現代に至るまで多くの研究者に疑問を投げかけ続けています。

古代の文献には、シルフィウムの絶滅の理由についてさまざまな説明が残されており、大プリニウスは人間の活動によって種が滅びた最初期の例のひとつとして記録しています。彼によれば、ローマの農民たちはシルフィウムを食べた家畜がよく肥えることに気づき、その生育地で放牧を行った結果、個体数が急激に減少したとされています。

一方、ソラヌスは別の視点を示し、シルフィウムが極めて高価で取引されたため、住民たちがローマの重税から逃れる目的で過剰採取を行ったことが絶滅の原因であると述べています。

地理学者ストラボンは採集者と商人の対立が破壊を招いたと記しています。商人が地中海市場で高値で販売する一方で、自分たちの利益が少ないことに不満をいだいた羊飼いたちが、多くの株を根こそぎ引き抜いてしまったというのです。

このように古代の記録は、過放牧、過剰採取、経済的対立など、人間の行動がシルフィウムの衰退に深く関わっていたことを示唆しています。

しかし、現代の研究は、これらの要因に加えて環境変動や土地利用の変化が複雑に絡み合っていた可能性を明らかにしています。近年の研究によれば、シルフィウムは半乾燥地帯に適応した植物であり、キレナイカ地域の降水量減少や気温上昇といった気候変化が種子の発芽能力を損なった可能性があります。また、羊による過放牧は土壌侵食を引き起こし、表土の性質を変化させたことで生育環境を悪化させたと考えられています。

花粉分析による環境研究では、キレナイカがかつて多様なステップ生態系であった一方、穀物やオリーブ、耕地雑草の花粉が多く検出されることから、農耕の拡大が進んでいたことが示されています。これは、植生の焼き払い、大規模な開墾、過放牧、土壌侵食といった土地利用の変化が生じていたことを意味します。

さらに、シルフィウムが雑種植物であった可能性も興味深い仮説として挙げられています。この場合、第一世代は良好に生育するものの、第二世代では同じ性質を持つ個体がほとんど生まれず、主に根茎によって繁殖していたと推測されます。根が多用途に利用されていたことを踏まえると、根ごと引き抜く採取方法が絶滅を加速させた可能性があります。

このように、シルフィウムの絶滅は単一の原因によるものではなく、環境的要因、農業活動、そして人間の行動が複雑に絡み合った結果であると考えられます。古代の記録が示す人間の過剰利用と経済的圧力、そして現代研究が明らかにする気候変動や土地利用の変化が重なり合い、シルフィウムという希少な植物は歴史の中に姿を消していったのです。

シルフィウムとはなんだったのか

アサフェティダ(Ferula assa-foetida

そもそもシルフィウムとはいったいどのような植物だったのでしょうか。貨幣に描かれた図像や、古代の博物学者たちによる詳細な記録を総合すると、シルフィウムはセリ科、特にオオウイキョウ属に近い性質を持っていたと考えられています。実際に、オオウイキョウ属の植物からは抗炎症作用や、生殖に関わる作用を持つ化合物が確認されています。こうした点からも、シルフィウムがこの仲間の植物であった可能性は高いとされています。その中でも、和名でアギとも呼ばれるアサフェティダは形態がよく似ていますが、強烈な悪臭を放つため、古代文献に記された「快い香り」とは一致しません。このように、いくつかの候補はあるものの、どれも完全に一致するわけではなく、シルフィウムの正体は長い間、決定的な答えが出ないままでした。

2000年の時を経た再発見の可能性

フェルラ・ドゥルデアナ(Ferula drudeana)

しかし、近年になって興味深い発見が報告されています。2021年、トルコ・アナトリア地方の、かつてギリシャ人が暮らしていた集落跡の近くで、フェルラ・ドゥルデアナ(Ferula drudeana)という希少植物が確認されました。この植物の特徴を古代文献と照らし合わせたところ、いくつかの点で驚くほどよく一致していたのです。まず、硬貨に描かれたシルフィウムの象徴的な特徴である「対生する花序枝」が、フェルラ・ドゥルデアナにも見られました。これはオオウイキョウ属では非常に珍しい特徴です。また、果実の形はテオプラストスが「葉のような形」と記した描写とよく合い、黒い樹皮を持つ大きな根や、晩夏に黄金色へ変わる葉など、文献に残された特徴と一致する点が多く確認されています。

さらに、樹脂の香りも注目されます。フェルラ・ドゥルデアナの樹脂は快い香りを持ち、ディオスコリデスが記した「穏やかで心地よい香り」という表現と矛盾しません。化学分析でも、古代文献に記されたシルフィウムの薬効と重なる生物活性が複数確認されました。

生態的にも興味深い点があります。この植物がギリシャ人集落跡の近くにのみ自生していることは、古代の人々がキレナイカから種子を持ち込み、別の土地で育てていた可能性を示唆します。一方で、通常の方法では発芽しないという報告もあり、栽培の難しさは古代の記述とも一致します。

とはいえ、フェルラ・ドゥルデアナがシルフィウムそのものであると断定することはできません。考古学的に残されたシルフィウムのサンプルと直接比較できていないため、決定的な証拠はまだ存在しないためです。学界でも「非常に有力な候補」と評価される一方で、慎重な見方も根強く残っています。

シルフィウムは、古代の人々にとって欠かせない存在でありながら、その正体も消えた理由も完全には解き明かされていません。数千年を経た今でも、多くの謎を抱えたまま歴史の中に姿を潜めています。だからこそ、この植物は人々の想像力をかき立て、古代世界のロマンを象徴する存在であり続けているのです。


参考:https://www.worldhistory.org/article/2252/theophrastus-and-pliny-the-elder-on-silphium/

https://www.rjpponline.org/HTMLPaper.aspx?

https://www.mdpi.com/2223-7747/10/1/102

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