北米で最も甘くて丈夫な豆メスキートが消された理由

植物

北アメリカのソノラ砂漠には古くから人々の暮らしを支えてきた在来の樹木があります。メスキートと呼ばれるこの木は、乾いた土地でもたくましく育ち、実をつけ、そのサヤは何千年ものあいだ、先住民の貴重な食料源となってきました。

メスキートは豆類の中でも際立って甘く、糖度は20から30%にも達するほどです。ところが、わずか一世紀ほどの間でこの木は伐採や駆除の対象となり、多くの地域から姿を消していきました。

それではなぜ、砂糖が広まるよりもはるか昔から人々の暮らしに甘みをもたらしてきたこの丈夫な木が忘れ去られてしまったのでしょうか。本記事ではその背景について詳しく説明しています。

  • 4000年の食文化 – 北アメリカ先住民は数千年前からメスキートの甘い鞘(糖度20-30%)を主食・保存食として利用し、「命の木」と呼んで生活の中心に据えていた。粉、酒、燃料、弓の材料など多用途に活用されていた
  • 厄介者への転落 – 19-20世紀の農業開発・機械化により、深い根が耕作の障害となり、地下水を奪うと誤解され、駆除対象に。
  • 態系の要としての再評価 – 1970年代以降の研究で窒素固定による土壌改善、野生動物への食料提供などキーストーン種としての役割が判明。1990年代からは高栄養・低GI食材として注目され、先住民による栽培復興や国際機関による「未活用作物」指定へ

4000年の記憶

アメリカ・アリゾナ州ツーソン周辺では、先住民による古い生活の痕跡が数多く見つかっています。考古学調査により、この地域では少なくとも数千年前から、メスキートの鞘や種子が食料として利用されていたことが分かっています。

当時の人々は文字を持っていませんでしたが、乾燥した環境で生きるための知識を蓄えていました。トウモロコシなどの作物が育ちにくい土地でも、メスキートは安定して実をつける樹木であり、重要な食料源のひとつだったのです。

メスキートの特徴

メスキートは北アメリカの乾燥地に自生するマメ科の低木から小高木で、土壌次第で最大15メートルほどに成長します。この木の最大の特徴は、非常に深くまで伸びる根にあります。地下深くの水脈にまで根を張ることで、雨の少ない過酷な環境でも水分を確保し、長い干ばつにも耐えることができるのです。こうした特性によって、メスキートは砂漠のような乾燥地でも、たくましく生き延びてきました。

メスキートの枝には鋭いトゲがあり、春から夏にかけて小さな花を咲かせたあと、平たい鞘に豆を実らせます。そして、毎年大量に実をつけるため、簡単に採集することができます。

乾燥させたメスキートの鞘は、鞘ごと粉砕して粉にすれば長期保存が可能で、パン状に加工しても数か月腐らないことから、移動をともなう生活を送っていた遊動的な部族にとっては、持ち運びに適した貴重な保存食でした。

このメスキート粉は主食や甘み料として先住民の食生活に深く根づいており、その味はシナモンやバニラのようだと表現されるほど甘く、風味豊かです。

「命の木」と呼ばれた存在

なかでも、北メキシコからアメリカ南西部にかけて暮らしていたコアウイルテカン族の人々にとって、メスキートは重要な存在でした。彼らはこの木を「アーボル・デ・ビダ(命の木)」と呼び、自らを「ラ・ヘンテ・デ・メスキート(メスキートの民)」と称することもあったといいます。それほどまでに、メスキートは彼らの暮らしと文化の中心にあったのです。

さらにこの植物は食料としての粉だけでなく、酒、燃料、さらにはゴムや塗料の原料としても利用されていました。青いメスキートの鞘は発酵させることで、糖蜜に似た甘いシロップに加工されていました。また、メスキートの粉は水と混ぜてメスキータマルと呼ばれる飲み物として飲まれていました。

文献には、メスキートの粉を水と混ぜて発酵させ、場合によってはウチワサボテンの果汁を加えることで、チーズのような食品を作っていたという記録も残されています。

メキシコのヌエボレオン州の先住民社会では、メスキートの根が弓の材料として使われていたことも知られています。また、この木から作られた製品は日常用途にとどまらず、贈り物や儀礼における供え物としても重要な役割を果たしていました。

このように、メスキートは単なる食料源ではなく、生活や文化を支える多用途の資源だったのです。


征服者たちの到来

16世紀にスペインの探検家たちが現在のアメリカ南西部に到達した際、彼らは現地の人々が利用していたメスキートの木について記録を残しています。

1530年代にこの地域を通過した探検家、アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカは、先住民が集めた鞘を食料として利用していたことや、その甘味について言及しています。彼の記録にはメスキートの鞘が乾燥させて粉にされ、保存食として用いられていた様子が記されています。こうした食品は季節による食糧不足を補う重要な役割を果たしていました。

1540年代には、現在のリオグランデ川流域を調査した別の探検記録の中でも、メスキートを含む樹木が広く分布していたことが述べられています。これらの木々は、暑さを和らげる日陰をつくり、人や動物が集まる環境を形成していました。

当時の先住民社会において、メスキートは食料や生活資源を提供する身近な樹木であり、日常の暮らしと深く結びついていたのです。


農業開発と厄介ものへの転落

From Farmer on Farmall tractor with McCormick-Deering harvester. Sysid 100716. Scanned as tiff in 2009/09/25 by MDAH. Credit: Courtesy of the Mississippi Department of Archives and History

しかし、19世紀後半になると、アメリカ南西部では放牧や農地開発が進み、多くの土地が牧場や農業生産のために利用されるようになります。その過程で、メスキートは農業や放牧の妨げになる樹木と見なされるようになりました。

牛はメスキートの甘い鞘を好んで食べ、消化されなかった種子が糞とともに広範囲に運ばれました。さらに、踏み固められた草原の地面は苗の定着に適していたため、メスキートが増えやすい環境が生まれたのです。その結果、牧草の生育が抑えられ、放牧地の生産性が下がると考えられるようになりました。

また、非常に深い根を持つメスキートは地下水を大量に吸い上げると信じられており、作物や牧草の水分を奪う存在だと誤解されていたのです。当時は地下水の層構造に関する知識が限られており、実際には異なる水層を利用している場合が多いことは、まだ十分に知られていませんでした。

機械化の障壁

さらに、20世紀に入ると農業の機械化が進みます。メスキートの硬い根は耕作や機械作業の障害となり、伐採しても再生しやすい性質は管理コストの増大につながりました。当時の農業政策は綿花や小麦などの単一作物を大量に生産することを重視しており、自然植生を残した農業は想定されていませんでした。

こうした中でメスキートは価値のない存在とされ、除去の対象となっていったのです。そのため、牧草地や耕作地を確保する目的で、伐採や焼却、薬剤による除去が行われ、メスキートは減少していきました。

強靭な生命力

しかし、メスキートは非常に強い再生力を持つ樹木でもあります。地上部を切られても地下の根は生き続け、新たな芽を出す性質があるため、完全に取り除くことは難しく、除去後も再び生育する例が多く見られました。

20世紀半ばには、メスキートの管理や除去を目的としたさまざまな試みが行われましたが、その根深い生命力の前に、長期的な制御の難しさが次第に明らかになっていきます。

一方で、地下では別の変化も起きていました。放牧の拡大によって一時的に牧草地が広がったものの、過放牧の影響で土壌は踏み固められ、植生が失われた場所では風や雨による土壌流出が進みました。さらに、水源の減少や牧草の衰退により、放牧の維持が難しくなる地域も現れました。こうした環境変化の中で、メスキートが再び増加する場所が見られるようになったのです。


生態学的な再評価

Luis Alvaz, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

その後の研究により、メスキートが生育する場所では、土壌環境に変化が見られることが分かってきました。

放牧関係者の間では、メスキートは管理の難しい樹木、あるいは望ましくない侵入種として扱われることもありましたが、実際にはこの地域にもともと分布していた在来の樹木で、近代的な土地利用が始まる以前から、長い時間をかけてその土地の環境と共存してきた存在です。

窒素固定と土壌改善

この木は根に共生する微生物の働きによって、空気中の窒素を土壌中に取り込む性質を持っています。この仕組みは、栄養分の乏しい土地において土壌条件を改善する要因のひとつと考えられています。

また、メスキートの樹冠がつくる日陰は地表の温度上昇を抑え、乾燥を和らげる効果があります。そのためその周囲では、草本植物が再び生育しやすくなる例が報告されています。さらにこうした環境の変化に伴い、動物が集まる場所となることもあります。

キーストーン種としての役割

1970年代以降、生態学の分野では、メスキートが砂漠の生態系において重要な役割を果たしていることが指摘されるようになりました。一部の研究では、メスキートは他の生物の生息環境や食料資源を支える存在として、「キーストーン種」として位置づけられています。

メスキートの鞘はシカやペッカリー、コヨーテなどの野生動物の食料となり、花は在来の昆虫に利用されています。また、樹木そのものが日陰や隠れ場所を提供することも知られています。

このように、かつて管理の対象とされていたメスキートは、砂漠環境を支える構成要素のひとつとして再評価されています。

こうした研究が進む中で、メスキートに対する見方は次第に変わっていきました。乾燥地でも生育を続ける性質や、生態系への影響が明らかになるにつれ、この樹木がなぜ長い間利用されてきたのかが改めて注目されるようになったのです。


未来を担う高栄養資源

Forest & Kim Starr, CC BY 3.0 US, via Wikimedia Commons

さらに1990年代に入ると、アメリカ南西部では深刻な干ばつの影響により、水資源に依存しない作物への関心が高まりました。このような状況の中で、農業や環境分野の研究者たちは、灌漑や施肥をほとんど必要とせず乾燥地に自生するメスキートに着目します。そして、その食用利用や栄養特性に関する研究が進められるようになりました。

豊富な栄養素

これらの研究によって、メスキートの鞘を粉砕して得られる粉には、たんぱく質、食物繊維、ミネラル、炭水化物が豊富に含まれていることが明らかになりました。

特に注目されたのは、含まれる糖質の一部が消化吸収が緩やかで、血糖値の急激な上昇を抑える可能性があるという点です。ちょうど同じ時期、先進国では糖分の過剰摂取や生活習慣病が社会問題として注目されており、血糖値への影響が穏やかな甘味料への関心が高まっていました。こうした背景のもと、メスキートは自然由来の甘味源としても検討されるようになったのです。

また、メスキート粉は食物繊維が豊富で少量でも甘味を感じやすいという特性があり、その風味や栄養価を活かして、料理や飲料への応用に関する研究や試行も続けられてきました。

商業化と文化的復興

こうして2010年前後には、アメリカ各地の健康食品店や専門店でメスキート粉が販売されるようになり、自然食品や伝統食材に関心のある消費者を中心に注目を集めました。南西部の都市では、パンや菓子、デザートなどにメスキートを取り入れる料理人も登場しています。

メスキートの再評価は、研究機関や食品業界だけで進んだわけではありません。先住民社会の中でも、伝統的な知識や利用法を見直そうとする動きが見られるようになりました。

2010年代に入ると、アメリカ南西部やメキシコ北西部の一部地域で、先住民の農家や文化関係者、食文化の研究者たちが、メスキートの利用や栽培を再び試みる取り組みを始めました。一部の家庭では、祖先の時代から保存されてきた種子を使って植栽が行われ、乾燥した水路沿いや雨水が集まりやすい場所に種をまくといった伝統的な知識が活かされています。

こうした小規模な活動は次第に地域全体へと広がり、2010年代後半には、在来植物を対象としたコミュニティー主体の種子保存活動が行われるようになり、その中にメスキートも含まれるようになりました。

国際的な評価

2021年には、メキシコの国立林業委員会が、乾燥化や土地劣化が進んだ地域の回復を目的として、メスキートを含む在来樹種の植林計画を進めました。

国連食糧農業機関もこうした乾燥地植物を「十分に活用されてこなかった作物」として位置づけ、食料安全保障や環境再生の観点から調査対象としています。

このように、かつて農業の障害と見なされてきたメスキートは、現在では乾燥地における生存戦略の一例として研究されており、その生態的特性や利用の可能性は、将来の食料生産や土地管理を考えるうえで、貴重なヒントを与えてくれる存在となっているのです。

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