近年、動物園でマヌルネコの人気が高まっています。その姿はふわふわの毛並みにずんぐりとした体形、そして不機嫌そうに見える表情が特徴的で、多くの人を魅了しています。
一見すると、家猫のようにペットとしても飼えそうに思えてしまいますが、実はマヌルネコは絶対にペットにしてはいけない動物です。
そこで今回はこの動物の生態を見ていくとともに、飼えない理由を法律面・飼育面・そして倫理面から解説していきます。
この記事の要約
- マヌルネコはワシントン条約附属書Ⅱに登録された保護動物で、法律上一般個人がペットとして飼うことは不可能
- 高地の寒冷環境に適応した体質、極端に弱い免疫力、特殊な食性、強い警戒心により、家庭での飼育は現実的ではない
- ペット需要が高まると密輸や違法取引を助長し、絶滅危機にある野生個体をさらに追い詰める危険性がある
法律面:ワシントン条約による規制

そもそも、マヌルネコをペットにすることは法律的に不可能です。なぜなら、この動物は国際的に保護対象になっているからです。
マヌルネコはワシントン条約、正式にはサイテスと呼ばれる国際取引を規制する条約において、附属書Ⅱに登録されています。
附属書Ⅱに掲載されている種は、「今は絶滅のおそれはないが、国際取引を厳しく規制しなければ将来的に絶滅のおそれのある種になる可能性があるもの」とされています。
そのため、商業目的の国際取引は可能ですが、輸出国政府の発行する許可書が必要となります。この許可書はその取引がマヌルネコの種の存続に悪影響を与えないことが証明された場合にのみ発行されます。
日本への持ち込みはさらに困難
さらに、日本に持ち込む場合はもっと厳しくなります。サイテスの許可証に加えて、健康証明書、動物検疫、税関の審査などをすべて通過しなければなりません。
しかも、これらは一般の個人が簡単に取得できるものではなく、研究機関や動物園など限られた施設でしか扱えません。つまり、ペット目的で自由に売買することはできないのです。
飼育面:家庭での飼育が不可能な理由

では仮に法律をクリアしてマヌルネコを手に入れることができたとしましょう。それでも、ペットとして飼うのはほとんど不可能です。
特殊な体質と環境適応
その理由のひとつは、マヌルネコの体質が非常に特殊だからです。彼らはモンゴル高原やチベット高地など、標高が高く、乾燥して寒冷な環境に適応してきた動物です。そのため、日本のような高温多湿の環境ではストレスになり、健康を害してしまいます。
極端に弱い免疫力
さらに、病気に極端に弱いことも問題です。野生のマヌルネコは高地に生息しているため、周囲の病原菌が少なく、免疫力が低くなっています。
そのため、人間やイエネコが普通に持っている菌でさえ抵抗できず、感染症にかかりやすいのです。実際、動物園でも風邪や猫風邪ウイルスが命取りになることが多く、飼育が難しいとされています。
特殊な食性
また、食性も非常に特殊です。マヌルネコは小型哺乳類を捕食する高度に特化した捕食者であり、巣穴の出口付近で待ち伏せしたり、忍び寄ったりして捕獲します。
代表的な獲物はナキウサギやジリス、ハタネズミなどです。また、地域や季節によっては、若い鳥や昆虫、小魚を捕食することもあります。
このような獲物は日本のペットショップや一般家庭ではほとんど手に入りません。キャットフードでは代替できず、栄養不足や消化不良を起こしてしまいます。
強い警戒心とストレス耐性の低さ
そして何より、強い警戒心とストレス耐性の低さが致命的です。マヌルネコは野生でもほとんど人に姿を見せないほど神経質な動物で、人間との距離が近い環境では常にストレスを感じます。動物園でも、来園者に見られるだけで体調を崩す個体がいるほどです。
動物園では特定の飼育員に慣れているように見える個体もいますが、それはあくまで例外的なケースであり、一般的にペットとして飼うことは不可能です。彼らは家畜化されたイエネコとは異なり、警戒心が非常に強く、人間に対して強いストレスを感じます。
動物園と家庭環境の違い
動物園と家庭環境には大きな差があります。動物園には温度や湿度を管理する専用の設備、ストレスを和らげる工夫、そして複数の専門スタッフが交代で世話をする体制が整っています。そうした環境があって初めて、マヌルネコはなんとか健康を維持できるのです。
一般の家庭で同じ条件を再現するのはほぼ不可能であり、もし飼おうとすればマヌルネコ自身が強いストレスや病気に苦しむことになります。つまり、動物園で見られる慣れたように見える姿は、ペットとして飼える証拠ではなく、むしろ専門的な環境と努力があってこそ成り立っているものなのです。
アライグマの教訓

アライグマもかつてペットとして人気があり、中には人になつく個体もいました。しかし、すべての個体がそうなるわけではありません。個体差が非常に大きく、成長するにつれて攻撃的な性格になったり、飼い主になつかなくなったりするケースも少なくありません。
その結果、飼いきれなくなった飼い主が安易にアライグマを逃がしてしまうことが起こりました。そして、逃げ出したアライグマは日本各地で野生化し、在来の生態系に深刻な影響を及ぼす外来動物となってしまったのです。可愛らしさだけで安易にペットにすることは、最終的に動物自身と自然環境の双方に大きな問題を引き起こしてしまいます。
イエネコとの違い
一方で、イエネコは、数千年前に中東地域でリビアヤマネコを祖先として人間の生活圏に入り込み、穀物倉庫のネズミ退治などを通じて人との共生関係を築いてきました。
その過程で、人に慣れやすい性格や家庭環境に適応する体質が選ばれていき、現在のペットとしてのイエネコが誕生しました。抱っこやスキンシップに耐えられるのも、そうした家畜化の成果です。家畜化された動物は人間との共生に適応した形質を持つという点で、野生動物とは根本的に違います。
ペルシャ猫との関係

マヌルネコは昔、丸顔・短い足・もふもふの長い毛が、ペルシャ猫の特徴とよく似ていたため、ペルシャ猫の原種ではないかと考えられていた時期がありました。
19世紀ごろの博物学者や猫愛好家たちは、ペルシャ猫はマヌルネコが家畜化されたものと推測していたのです。しかし、その後の遺伝学的な研究によって、この説は否定されました。
ペルシャ猫はイエネコの改良品種であり、マヌルネコとは別の系統です。つまり、マヌルネコはイエネコやペルシャ猫の祖先ではなく、全く独立した野生の猫なのです。
家畜動物のような選択圧を受けていない彼らは、人間の生活環境ではストレスや健康リスクが高くなります。
このように、法律的に可能だったとしても、環境・健康・食事・性質、どの面をとってもペットとしての飼育は不可能に近いのです。
倫理面:保護が必要な絶滅危惧種

そして最後に、もっとも大きな問題は倫理的な観点です。
過去の狩猟圧
マヌルネコはかつて中国、モンゴル、ロシアで毛皮目的に大量に狩猟されていました。年間で1万枚以上の毛皮が取引されることもありましたが、1970年代に中国や旧ソ連で法的に保護されるようになり、狩猟は減少しました。
しかし、モンゴルでは1988年以降国際取引は停止されたものの、国内での毛皮や体の一部を伝統的な薬用目的で取引することは続いており、年間を通して狩猟される可能性があります。
現在の脅威
さらに、マヌルネコは人間の活動によっても脅かされています。牧畜犬に襲われることや、小型哺乳類用の罠にかかることが報告されており、密猟も依然として問題です。
また、モンゴルでは害獣駆除のため殺鼠剤が使用され、その影響でマヌルネコの主食である小動物が減少し、捕食対象が失われています。さらに、鉱山開発やインフラ建設による生息地の分断も、マヌルネコにとって深刻な脅威となっています。
こうした狩猟圧、毒物による獲物減少、そして生息地の破壊が重なり、野生個体の数は正確には把握できていませんが、決して多くはなく、保護活動が急務とされている動物なのです。
ペット需要がもたらす危険
そうした状況でペットとして飼いたいという需要が高まれば、密輸や違法取引が横行し、野生のマヌルネコがさらに追い詰められる危険性があります。これは動物愛護や生物多様性の保全という観点からも、強く懸念される行為です。
つまり、マヌルネコは「法律的に飼えない」「生態的に家庭に向かない」というだけでなく、「絶滅の危機にある野生動物を守る責任がある」という点からも、ペットにしてはいけないのです。
コツメカワウソの事例

例えば、コツメカワウソを思い浮かべてみてください。2000年代以降、東南アジアでは森林伐採や開発によって生息地が失われ、コツメカワウソの野生個体数は徐々に減少していきました。
その一方で、日本では2010年代前半から「カワウソカフェ」やテレビ番組、SNSなどを通じてコツメカワウソの人気が急上昇し、ペットとして飼いたいという需要が高まりました。
この需要の高まりに伴い、2016年から2017年にかけて、日本の空港では東南アジアから密輸されたコツメカワウソが複数回押収されました。
また、国内で繁殖されたと偽って野生由来の密輸個体が流通しているケースも多く、その実態は深刻です。京都大学などの研究チームが2024年以降、日本国内で飼育されているコツメカワウソのミトコンドリアDNAを解析した結果、日本の飼育個体の多くが、密猟が多発しているタイ南部の野生個体と同じ遺伝型を持っていることが判明しました。
これは、国内で繁殖されたとされる個体の中に、密輸された野生個体、あるいはその子孫が含まれている可能性が高いことを示しています。
こうした事例が続いたことで、日本がコツメカワウソの主要な需要国であることが国際的に問題視されるようになりました。
この状況を受けて、2019年8月にはワシントン条約において、コツメカワウソの保護ランクが附属書Ⅱから附属書Ⅰに格上げされ、国際取引が原則禁止となりました。
たとえ本当に合法に繁殖された個体でも、人気が高まればもっと飼いたいという需要が生まれて、野生個体の捕獲や違法取引を助長する可能性があります。つまり、合法かどうかだけで判断するのではなく、その飼育がどんな影響を生むかまで考える必要があるのではないでしょうか。
まとめ
今回解説してきたように、マヌルネコは見た目の愛らしさとは裏腹に、ペットとして飼うことが絶対にできない動物です。
法律面では、ワシントン条約附属書Ⅱに登録された保護動物であり、一般個人が取得することは不可能です。
飼育面では、高地の寒冷環境に特化した体質、極端に弱い免疫力、特殊な食性、そして強い警戒心とストレス耐性の低さなど、家庭環境での飼育を困難にする要因が数多く存在します。動物園でさえ専門設備と複数のスタッフが必要な動物を、一般家庭で適切に世話をすることは現実的ではありません。
そして最も重要なのは倫理面の問題です。マヌルネコは密猟、生息地破壊、獲物の減少などにより、野生個体数が減少している保護を必要とする動物です。ペットとしての需要が高まれば、コツメカワウソの事例のように密輸や違法取引が横行し、種の存続がさらに脅かされる可能性があります。
マヌルネコの魅力は、動物園という適切な環境で、専門家の努力によって守られながら観察することで初めて成り立つものです。私たちにできることは、彼らを野生で、あるいは適切に保護された環境で見守り続けることなのです。
もっと深く知りたい方へ:おすすめの参考書籍

マヌルネコをはじめとする野生のネコ科動物についてもっと詳しく知りたい方には、『世界の美しい野生ネコ』(エクスナレッジ、2016年)をおすすめします。
本書は、ネコ科動物の専門家であるフィオナ・サンクイストとメル・サンクイストによる、ネコ科37種すべての仲間を紹介した決定版です。
テリー・ホイットテイカーの息をのむような鮮やかな写真と、生物学者が現地で撮影したユニークな写真――その一部は超希少種の画像で、これまでに撮影された中で最も鮮明――は、ネコの美しさを堪能させてくれるだけでなく、ネコの行動や保全に関する貴重で便利な参考資料としても役立ちます。
本書の特徴
- 全37種のネコ科動物を網羅: マヌルネコを含む、ライオン、トラ、ヒョウなどの大型種から、クロアシネコ、サビイロネコなどの小型種まで、8つの系統すべてを紹介
- 美しい写真: 超希少種を含む鮮明な写真の数々
- 科学的な解説: なぜオスライオンに鬣があるのかなど、面白くためになるコラムも多数
- 保全問題への言及: 生息地の破壊から人間による迫害まで、世界のネコ科動物が直面する深刻な脅威にも光を当てています
- 271ページの充実した内容: これ一冊でネコ科のすべてがわかる参考資料
マヌルネコはベンガルヤマネコ系統に分類され、スナドリネコ、ベンガルヤマネコ、マレーヤマネコ、サビイロネコと同じグループに属しています。本書では、マヌルネコの生態や保全状況についても詳しく解説されており、今回の記事で触れた内容をさらに深く理解することができます。
「神はトラをなでる喜びを人間に与えるためにネコを創造した」――作者不明
科学と行動観察、そして目を見張る写真の融合は、世界中のネコ愛好家を魅了する一冊です。野生のネコ科動物の美しさと、彼らが直面する現実を知ることで、私たちができる保全活動についても考えるきっかけになるでしょう。
この記事は動画でも見ることができます。
参考:

https://ksemoving.com/exotic-pets-import-regulations-in-japan/?utm_source=chatgpt.com
https://academic.oup.com/mspecies/article/56/1038/seae004/7712840
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