アフリカのサバンナにはライオンやゾウ、シマウマ、ヌーといった実に様々な動物が生息していますが、シカ科の動物は一頭も見られません。
インパラやガゼルなど、角があってシカのように見える草食獣は全てウシ科の哺乳類で、これらはシカよりはウシやヤギに近い動物です。
それではなぜサバンナにシカはいないのでしょうか。
実はその理由は、シカの進化の歴史や生態、そしてサバンナの特殊な環境との深い関係に隠されています。
本記事ははこの謎について詳しく説明しています。
この記事の要約
- サハラ砂漠という乾燥した広大な障壁が、湿潤な森林に適応したシカの南下を阻んだ
- シカは森林で姿を隠す防御戦略を持つが、開けたサバンナでは隠れる場所がなく不利
- シカは栄養価の高い葉や芽を好む選択的採食者で、小さなルーメンではサバンナの繊維質が多い硬い草を大量に処理できない
アフリカに生息するシカ

シカ科は世界で約50種ほど知られており、北半球を中心に広く分布しています。
実は、シカがアフリカに全くいないというわけではありません。
大陸の最北端にあるアトラス山脈には、バーバリアカシカと呼ばれるシカが生息しています。
これはアカシカの亜種で、アフリカに現生する唯一の在来シカです。
バーバリアカシカは一般的なアカシカよりも小型で、体は暗褐色をしており、脇腹や背中に白い斑点があります。
具体的にはアルジェリア、モロッコの密生した湿潤な森林地帯に生息しています。
チュニジアでは狩猟により絶滅しましたが、1990年代に再導入されました。
このように、バーバリアカシカは北アフリカの限られた森林に生息する希少なシカであり、これより南のアフリカには在来種のシカはいません。
ただし、南アフリカにはダマジカというシカがハンティング用に持ち込まれ、野生化した個体が定着しています。
シカの進化の歴史

それではここからは、シカの進化の歴史をたどりながら、どのようにして現在の分布に至ったのかを見ていきましょう。
シカ科の祖先は始新世(約5,000~5,500万年前)に出現したディアコデクシスと呼ばれる最古の偶蹄類にさかのぼることができます。
ディアコデクシスはその化石がパキスタン、ヨーロッパ、北アメリカといった北半球の広い範囲から発見されており、当時の彼らが地球上に広く分布していたことが分かります。
その姿はウサギほどの大きさで、前肢・後肢ともに5本指を持っていましたが、特に第3指と第4指が長いという、すでに偶蹄類の特徴が現れ始めている動物でした。
歯からは葉や柔らかい芽、果実等を食べていたことが示唆されており、森林環境で生活していたと考えられています。
その後、漸新世から中新世にかけて、ユーラシア大陸では多様なシカ様の動物が出現し、やがて本格的なシカ科の進化が進みました。
中新世後期には、初めて枝分かれしたつのを持つシカ類が登場し、鮮新世(約500万~200万年前)になると、シカ科はユーラシア全域に分布を広げていきました。
鮮新世から更新世初期にかけては、地球規模の寒冷化と草原の拡大により、シカ類の個体数は急増しました。
また、およそ500万年前には、ベーリング陸橋を渡って北アメリカへ進出し、さらに250から300万年前にパナマ地峡が形成されると南アメリカにも進入しています。
やがて更新世中期(約80万年前)になると、ヨーロッパにアカシカが登場し、その後、イタリアやシチリアをはじめとする地域で複数の亜種へと分化しました。
そして、氷期と間氷期の気候変動にともなって生息域を広げ、シベリアや中央アジアへと進出していきます。
さらに東アジアまで分布を広げた個体群の一部は、氷期に出現したベーリング陸橋を渡って北アメリカ大陸に到達しました。
こうして新天地に適応したものが、現在、ワピチとして知られています。
ワピチはかつてはアカシカの亜種とみなされていましたが、近年の遺伝子研究により、現在では別種として扱われるのが一般的になっています。
一方、ヨーロッパにいたアカシカは地中海沿岸を経て北アフリカにまで到達しました。これがバーバリアカシカの祖先です。
また、北アフリカにはバーバリアカシカのほかにも、かつてもう一種のシカが生息していました。
それがMegaloceroides algericus(メガセロイデス・アルジェリクス)という種で、更新世後期から完新世にかけて存在していたとされています。
体格はバーバリアカシカよりやや小さく、ニホンジカより少し大きい程度で、体重はおよそ100キログラムと推定されています。
歯の構造や咀嚼能力から、水生植物を中心に食べ、乾季には陸上の柔らかい植物も摂取していたと推測されています。
頭骨は幅広く、骨が極端に厚くなるパキオストーシスという特徴が見られ、これはワニなどの捕食者から身を守るための適応だったと考えられています。
ただし、紀元前4000年ごろ以降には化石記録が確認されておらず、人間による狩猟や気候変動が主な要因となり、絶滅したと考えられています。
シカがサハラ以南に進出できなかった理由

しかし、これら二種のシカは北アフリカ以南に進出することはありませんでした。
それは、サハラ砂漠という広大で乾燥した障壁が立ちはだかっていたためです。
北半球で生まれ、湿潤な森林や山地に適応したシカたちにとって、乾燥したサバンナや砂漠環境は生存に適さず、移動することができなかったのです。
結果として、サハラ以南の広大なサバンナ地帯には、シカ科の動物は定着せず、その地位はレイヨウなどのウシ科の動物が占めることになりました。
シカ科の多くは進化の過程で森林や林に適応した動物です。
シカは基本的に姿を隠すことで身を守る防御戦略を取ります。
複雑な森林の地形や木々の陰に身を隠すことが得意で、体色や斑点模様も光と影に溶け込むカモフラージュとして機能します。
また、捕食者から逃げる際にジグザグに走ることで追跡をかわすのが得意です。
さらに優れたジャンプ力を活かし、垂直に2メートル以上飛べる種類も存在します。
そのため、オオカミやクーガーといった天敵に追われたときでも、障害物を軽々と飛び越えながら走り抜けることができるのです。
しかし、サバンナのようなひらけた環境では隠れる場所がなく、代わりに必要なのは広い視界での警戒、大規模な群れでの防御、持久力のある走りです。
これらはむしろレイヨウなどのウシ科が特化してきた性質であり、比較的小さな群れで動くことの多いシカは不利でした。
そして、シカがサバンナに適応できなかった最大の理由は、その食性にあります。
シカは一般的に選択的採食者であり、木の葉、芽、若枝、果実、柔らかい草や低木の新芽など、消化しやすい食物を好みます。
これらは森林や低木林に豊富に存在します。
また、北方地域では冬に地衣類も補助的に食べますが、いずれにしても栄養価が高く低繊維の食物を優先的に摂取します。
シカのつのは毎年生え変わるため、その成長にはカルシウムやリンなどのミネラルが多く必要とされます。そのため、栄養価の高い食物を十分に摂取することが不可欠なのです。
一方、アフリカのサバンナに広がるのは、繊維質に富んだ硬い草です。
これを効率よく消化できるのは、レイヨウやヌーなどウシ科のような粗食者であり、彼らは大きなルーメン(第一胃)を持ち、食物を長時間発酵させることで栄養を取り出します。
シカもウシも草を効率よく消化するために、4つの胃を使って何度も食べ物を処理する仕組みを持っています。
しかし、シカのルーメンは相対的に小さく、粗い草を大量に処理するのには向いていません。
シカの高栄養志向・低繊維志向の食性は、森林や半開けた環境では非常に適しています。
例えばアカシカやワピチは森林だけでなく草原にも出てきますし、トナカイはツンドラやひらけた平原に広く分布しています。
これらは森林のふちや寒冷地の特殊な環境に適応した例ですが、アフリカのサバンナのように乾燥し、硬くて繊維質の多い草が優占する環境では、胃の構造や消化戦略の違いから、シカよりもウシ科の動物のほうが圧倒的に有利だったのです。
まとめ

このように、サバンナにシカがいない理由は単純なものではありません。
シカは北半球で進化し、湿潤な森林環境に適応してきた動物であり、サハラ砂漠という地理的障壁によって南下が阻まれたこと、隠蔽による防御戦略がサバンナに適していないこと、そして何より、高栄養・低繊維の食物を好む食性と小さなルーメンが、繊維質の硬い草が優占するサバンナでは不利だったことが重なった結果です。
一方、ウシ科の動物たちは大きなルーメンと粗食への適応、群れでの防御戦略によって、サバンナという環境で繁栄することができました。
進化の歴史と生態的ニッチの違いが、現在の動物分布を形作っているのです。
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Are There Deer in Africa? Exploring the African Wildlife – Kingsgate Lifestyle
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