イッカクはハクジラ亜目に属する哺乳類で北極圏に生息し、オスは非常に長い一本の角(実際は牙)を持っていることで知られています。
この神秘的な生物をあなたは水族館で見たいと思うかもしれませんが、現在、イッカクを飼育している水族館はありません。
それではなぜイッカクを飼育することができないのでしょうか?
バンクーバー水族館がカナダで初めてイッカクを展示してから50年が過ぎています。
当時は称賛された功績でしたが、この飼育の試みはイッカクがバンクーバーに到着してからわずか4か月後に6頭すべてが死んでしまうという悲劇的な結果に終わりました。
バンクーバー水族館によるイッカクの飼育案

1955年、カナダ・バンクーバー水族館の初代館長に就任したマレー・ニューマンはイルカ、シロイルカ、シャチなどのクジラ類の展示のおかげで、この水族館を世界クラスの施設に育て上げました。
そして1968年、ニューマンは次に一般の人々にイッカクを紹介したいという考えに至りました。
実際、1960年代後半には、イッカクについて知っているカナダ人はほとんどいませんでした。
そのため、ニューマンはイッカクをバンクーバーに連れてくることで、この種とその保護に対する関心が高まることを期待していたのです。
一度目の遠征

1968年8月、ニューマンはスタッフ3人を引き連れてバフィン島北岸のポンド・インレットに向けて出発しました。
イヌイットのガイドに率いられたチームは2週間かけてイッカクを捕まえようとしましたが、残念なことに失敗に終わりました。
ニューマンは翌年も再訪したいと望んでいましたが、水族館には次の遠征に提供する資金がありませんでした。この時、彼は自分の夢が失われたと思いました。
それが1969年8月、エルズミア島グリズフィヨルドのイヌイットが負傷したイッカクの赤ちゃんを捕まえ、それを売る意思があるとの知らせをニューマンは受け取ったのです。
しかし、イッカクはバンクーバーへの空輸に耐えられないだろうと考えたニューマンはこの申し出を断りました。
ただ、彼以外はそれほど心配していなかったようです。
9月、ニューヨーク水族館がそのイッカクを購入し、米国に空輸したのです。
こうして一時はニューヨーク水族館が世界で唯一イッカクを所有している水族館となりましたが、これは長くは続かず、イッカクは1か月後に死んでしまいました。
ニューマンがグラハム夫妻に出会ったのはそのときでした。
バンクーバーの裕福な夫婦であるグラハム夫妻は、最近北極圏を旅行し、ポンド・インレット付近のイッカクに魅了されていました。
地元の人々からバンクーバー水族館が1968年に行った探検について聞き、この神秘的な生き物を多くの人に紹介したいと思ったグラハム夫妻は、ニューマンに連絡を取り、2回目の探検に資金を提供する申し出をしたのです。
二度目の遠征

ニューマンと11人のチームは、1970年8月1日、漁業局からイッカク捕獲の許可を得てポンド・インレットに飛びました。
その後、3週間捕獲することができなかったのですが、ニューマンはグリースフィヨルドのイヌイットから若いオスのイッカクを捕獲し、それを売る意思があるとの知らせを受けました。
彼はその場所に飛び、簡単な健康調査をした後、グラハム夫妻からの資金援助の承諾を得てイッカクを購入しました。
ニューマンはイッカクをキーラ・ルグクと名付けました。
これはカナダのエスキモー系民族のイヌイットにより広範に話される言語、イヌクティトゥット語の方言で「イッカク」を意味します。
英雄の凱旋

1970年8月24日、ニューマンはキーラ・ルグクとともにバンクーバーに戻り、大勢の記者に囲まれるとともに、市民から英雄として歓迎されました。
キーラ・ルグクの孤独は長くは続きませんでした。ニューマンがグリースフィヨルドにいる間に、チームはメスのイッカク2頭と子ども3頭を捕獲していたのです。
こうして5頭は8月27日にバンクーバーに上陸しました。
「本当に素晴らしい瞬間です」とニューマンは地元メディアに喜びを語りました。
困難な2年間を経て、バンクーバー水族館は現在、世界最大のイッカクのコレクションを保有しているのです。
そして悲劇へ
しかし、喜びはすぐに悲劇に変わりました。9月17日、地元新聞は3頭の子どものイッカクが死亡したと報じたのです。
すぐに反発が起こりました。
ブリティッシュコロンビア州自然保護連盟はイッカク捕獲の遠征を非難しました。
さらに、その夏初めに捕獲許可を発行した漁業大臣のジャック・デイビスでさえイッカクの死を非難しました。
遠征隊のメンバーはこれらの批判を一蹴しました。
両遠征に参加した自由党の州議会議員パット・マギーアは、シャチの捕獲がシャチに対する一般の認識を変えたのと同じように、イッカクの捕獲はイッカクに対する新たな理解を育む可能性があると強調しています。
ニューマンはイッカクの死に心を痛めていましたが、それでも捕獲と飼育は正当であったと信じていました。
当時の他の科学者と同様、彼は北極圏におけるイッカクの将来を心配していたからです。
彼は動物が生き残るには人々の理解が必要だと述べています。
しかし、その年の11月、メスのイッカク2頭が死んだ後、反発が再び燃え上がりました。
今度は動物虐待防止協会が水族館のイッカク飼育プログラムを非難しました。
さらに、バンクーバー市長のトム・キャンベルはニューマンに宛てた公開書簡で、水族館に残る最後のイッカク、キーラ・ルグクを北極圏に返すよう求めました。
ニューマンはこうした非難を再び一蹴しました。
冬がすぐ近づいているため、キーラ・ルグクを北極に飛ばすことは不可能だったのです。
「我々が確認できる限り、イッカクは健康で元気です」と、彼は国民に保証しました。
しかし、残念ながら、キーラ・ルグクの健康はそう長くは続きませんでした。12月23日、水族館はキーラ・ルグクが病気であると報告しました。
そして、この若いイッカクは3日後に死亡したのです。
イッカクが水槽で長く生きられない原因

イッカクに最も近い種であるシロイルカは水族館の水槽で一般的に見られ、イッカクも同じように長生きできるように思えます。
イッカクが飼育下でうまく生きていけない理由は完全には明らかではありませんが、以下のような原因が考えられています。
水槽が小さすぎる
イッカクを飼育するには広いスペースを必要とします。イッカクは大型の海洋哺乳類で、オスは3.95~5.5メートルに達します。
これに加えて牙も長く、長さは1.5~3.1メートルにもなります。
このように、イッカクは体が大きく、牙が長いため、狭い水槽内ではうまく泳げず、怪我をしやすくなってしまいます。
イッカクは敏感な動物である
さらにイッカクは並外れて敏感な動物です。彼らの象徴的な牙には、温度、圧力、粒子の勾配などの微妙な変化を感知するのに役立つ1,000万の神経末端が詰まっています。
研究によると、イッカクは人間の作り出す騒音に非常に敏感です。
このため、ストレスを感じやすくそれが原因で死んでしまうと考えられます。
イッカク遠征が残したもの
バンクーバー水族館のイッカクの飼育プログラムは複雑な遺産を残しています。
イッカクの死は、水族館の動物の扱いに対する激しい批判を引き起こし、その結果、今後のイッカク遠征に終止符を打ちました。
しかし、皮肉なことに、このプログラムはイッカクに対する国民の意識と懸念を高めることとなりました。
遠征、捕獲、動物の死に関するメディア報道は、カナダ人に、それまで聞いたことのないこの種を紹介した結果となったのです。
こうしてイッカクへの関心が高まったことで、イッカクに関する研究が活発化し、1971年にはイッカク保護規制の施行が早急に進みました。
現在、バンクーバー水族館にある唯一のイッカクは、本館の天井から吊り下げられた模型のみです。
水族館のイッカク飼育プログラムの物語は、希望と悲劇に満ちていましたが、ほとんど忘れ去られています。
しかし、50年以上経った今、改めて振り返る価値はあります。
📖 さらに深くイッカクを知りたい方へ
今回ご紹介したバンクーバー水族館での飼育の試みは、イッカクの謎めいた生態を知ろうとした人間の挑戦の一部にすぎません。
イッカクの長い牙の秘密、北極圏での暮らし、イヌイットの文化との関わり、そして温暖化や乱獲がもたらす未来の課題――。
そんなイッカクのすべてに迫った科学ノンフィクションがこちらです。
👉 『神秘のクジラ イッカクを追う』
トッド・マクリーシュ 著 / 中村有以 翻訳(原書房)
著者が現地取材を重ね、イッカクを多角的に描いた本格的な一冊。
カラー口絵付きで、記事では語りきれなかったイッカクの魅力と謎を存分に楽しめます。
イッカクに興味を持った方は、ぜひ手に取ってみてください。
この記事はYouTubeの動画でも見ることができます。
参考:The Dark Reason Why You Never See Narwhals In An Aquarium | IFLScience
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