アメリカにカバ牧場を作る計画が失敗した理由

生物

あなたがアメリカのファーストフード店に行ったとき、ハンバーガーのパティーが牛肉ではなく
カバの肉だったとしたらどう思うでしょうか?これは冗談などではなく、実際にアメリカでカバの牧場を作ろうと計画していた人たちがいました。

アメリカのホテイアオイの導入

1884年、ホテイアオイはニューオーリンズのコットン・ステイツ博覧会で北米初公開され、その美しい花が来場者を喜ばせました。

ホテイアオイはミズアオイ科に属する南アメリカ原産の水草です。

博覧会の主催者は繊細な紫色の花を咲かせるこの植物はガーデニングの新たなフロンティアになるだろうと宣言し、希望者に配りました。

しかし、その美しい外見とは裏腹に、ホテイアオイは恐ろしい侵略的外来種だったのです。この植物は最初はルイジアナ州で、次にフロリダ州でウイルスのように広がりました。

そして、20年以内に南部の水路を占領し、水の流れを滞らせ、水上輸送の妨げとなり、また漁業にも影響を与えました。

ホテイアオイの拡大を止めようとした作業員は、この植物をバラバラにして川岸から引きずり出し花をガソリンに浸して火をつけました。

しかし、そのたびにホテイアオイは生き残っただけでなく、ますます繁栄していったのです。

肉の供給不足

南部の人々がこの植物との果てしない戦いを繰り広げている間にアメリカでは第二の危機が起こりました。

安価な肉はアメリカの繁栄の産物であり、長い間、最も貧しい移民にも手に入るものでしたが
それが突然、20世紀に入った頃、供給不足になったのです。

アメリカ・カバ法案

この事態に対し、ルイジアナ州選出のロバート・F・ブラサード下院議員は両方の問題を一度に解決する唯一の方法はカバの牧場経営を受け入れることだと主張しました。1910年3月24日、ブラサードは下院農業委員会に立って、このアメリカ・カバ法案の詳細を説明しました。

アフリカから飢えた草食動物を輸入すれば、ルイジアナ州とフロリダ州の水路を占領しているホテイアオイをなくせると彼は確信していたのです。さらに、カバがホテイアオイを食べ、十分に肥え太ったとき、農家は屠殺し、アメリカの安価な肉の供給を活性化できると考えていました。

さらに、年間100万トンのカバ肉を生産することは容易であると農務省の研究員ウィリアム・ニュートン・アーウィン氏は議会委員会で付け加えました。彼に言わせれば、100種以上の現生する家畜化されていない動物はアメリカで居場所を見つけることができるそうです。

サハラ以南のアフリカに生息する小型レイヨウは家族経営の農場の主力となり、アフリカスイギュウの群れは牛のように西部の牧場を歩き回るようになると主張しました。さらにサイは南西部の不毛の砂漠に生息し、チベットのヤクはロッキー山脈を登るだろうとまで語っています。

アーウィンはブルサードが雇った3人の専門家のひとりでした。実際、カバを飼育しようという考えをブルサードに吹き込んだのはアーウィンだったのです。そして、この奇抜な計画に対するいかなる抵抗も、単に心が狭いため、つまりアメリカ人がこの新しい食料源を受け入れられないだけだと主張しました。

ブルサードが雇った残りのふたりのメンバーはボーア戦争時、アフリカ駐留中にカバの養殖の可能性に気付いたアメリカ軍偵察兵フレデリック・ラッセル・バーナムと南アフリカ出身の軍人フリッツ・ジュベール・デュケインでした。デュケインはアフリカで幼少期のほとんどをカバを食べながら過ごしたと語っています。

事実、ケニアのホマ半島で発見された260万年から300万年前の石器は初期の人類がカバを屠殺していたことを示唆しています。

アーウィンはカバの肉は豚肉と牛肉を合わせたような味だったと証言しました。

そして、もしカバ法案が可決されれば、社会的経済的地位に関係なくアメリカ人は肉に困ることがなくなると語りました。法案にはわずか25万ドル、現在の価値で約800万ドルでアメリカ政府の所有地を世界中の野生動物や家畜で埋め尽くすことができると書かれています。

アメリカには以前にも大量の外国の動物を輸入した経験がありました。1891年から1902年にかけて、米国はロシアから1,280頭のトナカイを受け入れており、公聴会の時点では、約2万頭のトナカイがアラスカ準州の凍ったツンドラを闊歩していました。

カバ法案に賛成の声

ホワイトハウス退任後、アフリカでの狩猟の写真で国民を魅了したセオドアルーズベルト元大統領は
すぐにこの計画に署名しました。彼は、この件に関して、ブルサードを全面的に支持すると約束しています。

さらに、新聞社はオーストラリアではカンガルーが好んで食べられており、馬肉はヨーロッパ大陸では主食で、中央アメリカの人々はトカゲを食べているのになぜアメリカ人はカバを消費できないのかと煽りました。

アメリカのカバ牧場は実現可能か?

ただし、委員会のメンバーはブルサードの提案について疑問をいだいていました。委員長のチャールズ・F・スコットはカバを飼いならし、柵に閉じ込めておくことは可能かと尋ねました。また、カバは外来種のホテイアオイを本当に食べるのだろうかと疑問に思いました。

アーウィンとブルサードはどちらの質問にもイエスだと自信を持って答えました。カバは簡単に飼いならすことができ、さくの中の水辺で安全に暮らすだろう、そして、カバはホテイアオイを喜んで食べるだろうと返答したのです。

しかし、2人はこれらの理論がいかに見当違いであるかを知りませんでした。カバが家族経営の農場の柵を突き破るのを防ぐことは難しいでしょう。世界で最も危険な動物のひとつで年間500人が死亡していると推定されるカバは、もし逃げ出したら極めて危険な存在となります。

さらに、水生植物はカバの食料のごく一部です。夜になるとカバは水から出て草を食べます
そのため、たとえカバがホテイアオイを食べたとしても主食としては不適切でしょう。

ホテイアオイの重量の95%が水です。動物がホテイアオイから摂取した多量の水分をすべて排出するためには代謝を高めて腎臓をフル稼働させなければなりません。また、ホテイアオイには栄養がほとんどありません。そのため、カバは基本的にホテイアオイだけを食べて体重を増やすことはできないでしょう。

カバは水中で食べることにあまり時間を費やさないかもしれませんが、その代わりに排泄は盛んに行います。このことはブルサードが最初に解決しようとしていたことと同じくらい重大な生態学的脅威を生み出します。カバの排泄物は水の栄養負荷を増加させ、藻類の過剰繁殖を促し
同時に在来植物や魚を死滅させてしまうのです。

コロンビアでは麻薬王パブロ・エスコバルの私設動物園にかつて住んでいた4頭のカバの子孫である数十頭のカバが今や川底を踏み鳴らして泥だらけにし、水を濁らせ、植生を破壊しています。これにより、きれいで澄んでいたコロンビアの川は、今では泥だらけで悪臭を放つ藻だらけの水が何キロも続くようになりました。

しかし、1910年ではアーウィンのような農業専門家でさえ、カバの飼育が当時の最も差し迫ったふたつの問題の解決策であると信じていたのです。彼はある外来種を使って別の外来種を絶滅させるという皮肉には一切触れませんでした。

カバ牧場計画の失敗

カバ法案は各新聞社が息を切らしてこの問題に言及するなど大きな反響を巻き起こしましたが
結局、委員会は納得できず、メンバーは法案を棚上げにしました。

ブルサードは翌年、委員会に法案を再提出することを検討しましたが間もなく政治的野心と第一次世界大戦の勃発で彼の関心は別の方向へ向かいました。そして、1914年にブルサードは米国上院議員に選出されましたが、任期を全うすることはできず、長い闘病の末、1918年に亡くなりました。

その頃には、戦争で鍛えられたアメリカ人は肉、バター、コーヒーなどの贅沢ひんのない生活に慣れていました。こうして時が経ち、新しい技術の登場で、より少ない資源でより多くの肉を生産できるようになりアメリカに数十種の外来種を生息させる計画は忘れ去られました。

現在のアメリカの状況

1世紀以上経った今でも、ホテイアオイは南部の水域をおびやかしています。ルイジアナ州は1975年から2013年にかけてこの侵略的な植物を駆除する取り組みに1億2,400万ドルを費やしました
。現在、生物的防除剤から除草剤までさまざまな戦略によってホテイアオイの成長は鈍化していますが
その蔓延を完全に食い止めるには不十分です。

ただ、もし状況が少し違っていたら、つまり下院委員会が法案を議会に送っていたら、ブルサードが上院に立候補していなかったら、第一次世界大戦の開始が遅れていたら、アメリカの生態系はさらに大きく変わってしまっていたのかもしれません。

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