北部の厳しい寒さのツンドラ気候から南部の温暖な地中海性気候まで、ヨーロッパ大陸は様々な気候帯を含んでおり、そこには多様な生物が生息しています。ヨーロッパには270種の哺乳類がおり、そのうち78種が固有種です。また、800種を超える鳥類が生息しています。両生類は75種いるうちの56種が固有種です。そして、344種の淡水魚がヨーロッパの水域に生息し10万種を超える無脊椎動物が見られます。
このように多様な生物が生息しているにも関わらず、大型ネコ科動物は存在しません。これはいったいどうしてでしょう?
この記事はヨーロッパに大型ネコ科動物がいない理由を説明しています。
絶滅したヨーロッパの大型ネコ科動物
実はヨーロッパにはかつてヒョウやライオンが生息していました。これらのネコ科動物は森林と草原の両方の広大な地域を歩き回っていたと考えられていますが、今日ではこの自然の生息地の多くは完全に消滅し、それとともに、このネコ科動物の中で最も大きな種たちも消滅しました。
現生するヨーロッパのネコ科動物

現在、3種類の野生のネコ科動物がヨーロッパ大陸の特定の地域にまだ現存しています。ヨーロッパヤマネコはヨーロッパのネコ科動物の中で最も小さく、体長45~80cm、体重3~8kg程です。家畜種の祖先であると考えられているリビアヤマネコと近縁で、ヨーロッパヤマネコと同種とする説もありますが、2017年以降は独立種とされています。ヨーロッパヤマネコはヨーロッパ本土全体の森林に生息していますが、スコットランド、トルコ、地中海の島々に孤立した個体もいます。イエネコよりも大きい体と厚い毛皮を持っています。
ヨーロッパオオヤマネコはオオヤマネコの中でもっとも体が大きく、肩高は平均すると70cm程で体重はオスが11.7~29キロになります。彼らはヨーロッパとシベリアの密林に生息していますが西ヨーロッパの多くの地域では絶滅しています。しかし、一部の地域で再導入されて以来、ヨーロッパで最も優勢な捕食動物の1つとなっています。
スペインオオヤマネコは南ヨーロッパのイベリア半島原産でオオヤマネコの亜種とする説もあります。この種は世界で最も絶滅の危機に瀕しているネコ科動物の1つとしてよく知られています。
ヨーロッパのヒョウ

Panthera pardus spelaeaは、ヨーロッパ氷河期ヒョウまたはホラアナヒョウとも呼ばれ、後期更新世、おそらくは完新世にヨーロッパを歩き回っていたヒョウの亜種です。ショーヴェ洞窟に描かれたこのヒョウは現代のヒョウに似た模様をしていましたが、腹部には斑点がなく、おそらく白色でした。
このヒョウの化石は洞窟で発見されることがよくあるため、そこを避難場所にしたり獲物を隠したりしていたようです。一般的に小さな洞窟を好みましたが、これはおそらく、大きな洞窟にはホラアナグマ、ホラアナライオン、または人間などの大型の捕食動物が住んでいたためだと考えられています。
ヨーロッパのヒョウがどのような獲物を狩っていたかは正確にはわかっていませんが、アイベックス、シカ、イノシシを捕食する現代のユキヒョウに似ていた可能性があります。
ヨーロッパライオン

ヨーロッパのネコ科動物は歴史的に現在よりもはるかに威厳がありました。
ヨーロッパライオンはヨーロッパ大陸南部のほぼ全域にかつて生息していた、ライオンの1絶滅亜種です。彼らは西暦100年ごろまでは生存が確認されるものの、その後、地上から姿を消しています。一般的にインドライオンと同一種と考えられていますが、一部の専門家はこれを別個の亜種であると考えています。あるいはまた、ホラアナライオンもしくはヨーロッパホラアナライオンの最後の生き残りではないかと考えている人もいます
ホラアナライオンは更新世のスペイン以西のユーラシア大陸から北アメリカ大陸にかけて分布していました。現生のライオンよりやや大きく、たてがみや尾の先の毛は無かったであろうと言われており、クロマニヨン人などの壁画などにもそのような姿で描かれています。洞窟内および広い草原で行動していたとされ、乾燥し、比較的寒冷な環境を好んでいたようです。またクロマニヨン人の壁画からは、現生のライオンの種と異なり群れではなく単独で生活していたことや、ウマ類を主な獲物にしていたことが示唆されています。
一方、ヨーロッパホラアナライオンは通常、ホラアナライオンの初期の1亜種と考えられています。ホラアナライオンとは違い、タテガミがあったと考えられています。
ヨーロッパライオンにはインドライオンといくつかの違いがありました。南東ヨーロッパと小アジアのライオンは通常、腹部と側部のたてがみがありませんでした。対照的に、アジアライオンのオスは比較的涼しい気候に住んでいる場合、腹部にたてがみを持ちます。これはヨーロッパの動物園にいるインドライオンや、古代ペルシャの壁画からもわかります。
古代ギリシャのライオン

ライオンは古代ギリシャの神話や物語に頻繁に登場します。
例えば、ネメアの谷に住み着き、人や家畜を襲ったとされるネメアーの獅子の神話がよく知られています。ネメアーの獅子はペロポネソス半島の聖なる町ネメアを支配していました。ヘラクレスの最初の難行はこのネメアーの獅子を殺して毛皮を持ち帰る事でした。ネメアーの獅子の毛皮は金でできていたため攻撃を通さないと言われ、その爪は人間の剣よりも鋭く、鎧を突き刺すことができると言われていました。ヘラクレスは矢を撃ち、次いで棍棒で殴りましたが、毛皮には傷一つつかなかったため3日間獅子の首を締め上げて殺しました。獅子の毛皮は獅子の足の爪で引き裂かれてヘラクレスの服にされ、肉は食べられました。その後、ネメアーの獅子は動物の王としてゼウスによって空に上げられ、星座の一つである獅子座になったと言われています。
このネメアーの獅子は通常のライオンよりも大柄、洞窟を住居とする、単独生活など推察されているヨーロッパホラアナライオンの生態と共通点が目立ちます。
ギリシャ人にとってライオンは力と富の象徴でした。アリストテレスとヘロドトスは紀元前1000年頃にバルカン半島でライオンが発見されたと書いています。ペルシア王クセルクセス1世はペルシア戦争でマケドニアを進軍しているさなかの紀元前480年に数頭のライオンと遭遇したとしてます。
ヨーロッパライオンの絶滅

このライオンは紀元前200年以前にはイタリアから絶滅しました。そして西ヨーロッパでは西暦1年から70年頃には生息域は、ギリシャ北部のセリアックメン川とネストゥス川の間の地域に限定されていました。最終的に西暦100年には東ヨーロッパでも絶滅しました。
その後、ヨーロッパ大陸におけるライオンは、インドライオンの系統が10世紀までコーカサス地方に生き残るのみとなりました。
ヨーロッパに生息していたライオンは過剰な狩猟のために絶滅しました。ライオン狩りはギリシャ人とローマ人の間で非常に人気がありました。ヨーロッパライオンがますます希少になるにつれ、ローマ人は闘技場で戦わせるために中東や北アフリカからライオンを輸入し始めました。
ギリシャでは国中のいたるところでライオンが建物、彫像、貨幣、工芸品に描かれています。ミケーネの城塞のライオン門には、向かい合った2頭のメスライオンがいました。デロス島のライオンのテラスにはしゃがんだ大理石の守護ライオンが9から12頭いました。これらのライオンは、まるで吠えているかのように口を開けており、島に来た崇拝者を震え上がらせたことでしょう。
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