なぜクマはアフリカ大陸にいないのか?

なぜいない?

クマは非常に順応性が高く万能な動物であり、森林、草原山など広範囲に生息することができます。さらに、彼らは雑食性で餌として消費される種の範囲は多岐に渡ります。それではなぜアフリカにはクマが存在しないのでしょうか?

クマの分布図/TBjornstad 15:06, 25 June 2006 (UTC), Public domain, via Wikimedia Commons

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オーストラリアの動物相

一見するとクマがアフリカに存在しない論理的な理由はないように思えます。一方オーストラリアにクマは存在しませんが、これは簡単に説明できます。実際、オーストラリアの哺乳動物相は独特です。オーストラリア大陸は何億年も前にゴンドワナ大陸と呼ばれる巨大大陸の一部でした。この巨大大陸には現在のアフリカ、中東、南アメリカ、インド、南極、オーストラリア、ニュージーランドが含まれていたと考えられています。そして、中生代(2億5100万円から1億4000万年前)にゴンドワナ大陸は分裂し、オーストラリア大陸は切り離されました。

ゴンドワナ大陸/Fama ClamosaCC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

それ以来、動植物はこの大陸で独自の進化を遂げ、その結果、独特の有袋類が生息するようになりました。しかしアフリカには他の大陸との関係を示すさまざまな現生哺乳類の分類分が存在します。

アフリカに生息していた2種類のクマ

実際、かつてアフリカには2種類のクマが生息していました。19世紀のアフリカ大陸北部の地中海沿いのアトラス山脈周辺に生息していたアトラスヒグマ (Ursus arctos crowtheri) と、中新世後期から鮮新世後期のサハラ以南のアフリカに生息していたアグリオセリウム・アフリカヌム(Agriotherium africanum)です。この2種のクマはどのようにアフリカに達し、どのような生活をし、そして絶滅したのでしょうか。

この謎を解明するにはクマの進化の歴史を見ていく必要があります。

クマの起源

最も初期の哺乳類は小さなげっ歯類ほどの大きさの生物であり、クマの系統は肉食動物の起源と、裂肉歯と呼ばれる多くの肉食哺乳類において見られる肉や骨をハサミのように剪断する歯が発達する以前の暁新世の種キモレステス(Cimolesta)まで遡ることができます。

キモレステス目/Heinrich Harder (1858-1935), Public domain, via Wikimedia Commons

そして、最初の真のクマはアライグマぐらいの大きさの哺乳類であるパリクティス(Parictis)から始まり、3700万年前の中国の鉱床で発見された大型犬ほどの大きさの動物であるセファロガレ(Cephalogaleアンフィキノドン(Amphicynodon)につながりました。そしてこれらの種はフォベルシオン(Phoberocyon) とピトキオン(Pithocyon)、そして水生クマのコロノモス(Kolonomosなどに分岐して行くこととなります。

クマ科の祖先

現在のクマ科はジャイアントパンダ亜科、メガネグマ亜科、そして残りのすべてのクマが属するクマ亜科の3つの亜科に分けられます。これら3つの系統の共通の祖先は2000万年前に生息していたウルサバス・エルメンシス(Ursavus elmensis)です。彼らはアジアで生まれ、北米に広がっていきました。ウルサバスの体長は80cmほどで、おそらく現代のたぬきに似た姿をし、雑食性で木登りが得意でした。

ウルサバス・エルメンシス(Ursavus elmensis)/Roger Witter, Public domain, via Wikimedia Commons
  • ジャイアントパンダ亜科

ジャイアントパンダはその祖先について長年議論の対象となっており、かつてはクマとして分類されていませんでした。しかし、今日、ジャイアントパンダは700万年から800万年前に中国の雲南省に生息していたアイルラルクトス(Ailurarctos)の子孫であることが示されており、この種もウルサバスとの関連性を持っていました。

  • メガネグマ亜科

メガネグマ亜科は中新世中期に進化しました。中新世中期は世界が乾燥化し、湿潤な森林は温帯林と低木地に取って代わられた時期です。メガネグマ亜科の仲間はより特殊な肉食動物となり、体の大きさも大きくなりました。彼らは最初に北米に分散し、200万年前にパナマ地峡が浮上し、南北両アメリカ大陸が陸続きになった時に南米に分散しました。主要なメガネグマ亜科には体重600kgのショートフェイスベア (Arctodus simusと体重400kgで草食性のフロリダホラアナグマ(Tremarctos floridanus)がいます。これら2つの種は目覚しい成功を収め、わずか1万年前まで生き残っていました。しかし、メガネグマ亜科は大型ネコ科動物との競争の激化と更新世後期の大型草食動物の絶滅に直面しました。さらに、彼らの絶滅は人類の出現とヒグマなどのクマ亜科の到来とも一致します。こうして現在メガネグマ亜科として残っているのは南アメリカのメガネグマの1種だけです。

  • クマ亜科

クマ亜科はリトルベア(Ursus minimus)から500万年前に進化しましたが、150万年前の氷河期に大きな変化と様々な分岐を迎えます。例えば、ユーラシア大陸のクマは大きくて素早くなるよりも、よりゆっくりで主に雑食性になることを選びました。こうしてリトルベアは現代のクマ、マレーグマ、マナマケグマ、アメリカグマ、ツキノワグマ、ヒグマ、ホッキョクグマを生み出しました。

リトルベアはツキノワグマに最もよく似ていたと言われています。120万から280万年前にリトルベアからツキノワグマとヒグマは分岐し、これらふたつのグループはヨーロッパとアジアに広がり、氷期にシベリアとアラスカの間に存在したベーリング陸橋を渡って北米に進出しました。もっとも最近に進化した種はホッキョクグマで約20万年前にヒグマの系統から進化しました。この特殊な環境である極地に生息するハンターはもっぱら肉食ですが、ヒグマは雑食性です。

このように、ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸でクマの進化の波が起こっているのを見ることができます。気候変動と地峡ができたことにより、クマは主要大陸に分散することができたのでした。この物語ではアメリカ大陸におけるメガネグマ亜科の支配権は更新世にユーラシア大陸からのクマ亜科の侵入に取って代わられました。

アトラスヒグマ

そして、アフリカにもクマ亜科の一種であるヒグマが侵入していました。アトラスヒグマは北アフリカに生息していたヒグマの亜種でした。この種は現代まで生き残ったアフリカ唯一の在来種のクマで、かつてはモロッコからリビアに至るアトラス山脈とその近隣地域に生息していました。アトラスヒグマはわずかに明るい毛皮を持ち、中新世のクマを彷彿とさせる短い顔をしていました。彼らの体長は2.7m、体重450kgに達したと考えられています。

アトラスヒグマ/Nicolas Maréchal , Public domain, via Wikimedia Commons

アトラスヒグマの生態は他のヒグマと同様であると推定され、木の根やどんぐり、木の実などを食べていたようです。主に草食動物であったと言われていますが、今日のほとんどのクマは雑食動物であるため、アトラスベアは肉も食べることができ、おそらく肉だけでなく小型の哺乳類も食べたであろうと考えられています。

しかし、この種は現代の銃器が開発されてまもなく絶滅しました。これはあなたたち人間による乱獲がアトラヒグマの減少の一員となった可能性があります。最後の個体は1870年にモロッコ北部のテトゥアン山脈でハンターによって殺害されたと記録されています。

アグリオセリウム・アフリカヌム

またサハラ以南のアフリカではクマの化石が発見されています。これらの骨は中新世後期から鮮新世後期のメガネグマ亜科の1種に分類されるアグリオセリウム・アフリカヌムのものです。

アグリオセリウム属の化石はアフリカ以外にも北米、ユーラシアでも発見されています。この属は非常に栄え、少なくとも約1160万~250万年前まで存続しました。体長は約2メートル、体重は最大750キログラムで、現生クマのほとんどよりも大きいものでした。アグリオセリウム属は他のクマ類よりも脚が長く顔が短く、体格も軽めでした。幅広で短い顎は、強大な咬合力を生み出すことができました。

アグリオセリウム属のアゴの骨格/GhedoghedoCC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

現生クマ類では咬合力が最も弱い種は主に脂肪を餌とする捕食性のホッキョクグマであり、咬合力が最も強いのは竹を噛み砕くジャイアントパンダであることがわかっています。

骨格に関するいくつかの研究により、アグリオセリウム属は獲物を追いかけるような積極的な狩りに必要な四肢の強さやスピードを持っていなかったことが示されています。

これに加え、歯、顎、歯の摩耗パターンの分析により、アグリオセリウム属は植物質を多く食べる雑食動物であることが判明しました。また、炭素同位体を分析した結果、現代のヒグマの一部の個体群と同様に、かなりの量の動物質も食べていたこともわかっています。

アグリオセリウム属は季節に応じて果物や無脊椎動物を食べるとともに、死骸をあさるために他の捕食者を追い払うという食事に組み合わせに特化していた可能性があります。アフリカ・ユーラシアと北アメリカの両方で生息地を共有していたサーベルタイガーやイヌ科のエピキオンなどの強力な肉食哺乳類が優勢な環境で獲物を盗み、守るためには非常に大きな体が必要だっただろうと推測されます。

しかし、結果的にこの種は競争に負け絶滅したと考えられています。

これがなぜサハラ以南のアフリカにクマがいないのかを説明する鍵を握っています。

クマ科の拡散

クマの進化の多くはアジアまたは北アメリカで起こり、その結果生じた種は、東と西のいずれかの方向に広がりました。アメリカ大陸ではパナマ地峡ができてから南に進出することができ、現在でもアンデス沿いにクマが生息しています。アジアではジャイアントパンダが竹林で繁栄し、ツキノワグマが東南アジアを横断して南下し、ナマケグマがインドにあらわれました。

そして、アトラスヒグマがサハラ砂漠の北のアトラス山脈沿いにいましたが、それより南には存在しません。これは多く種の場合と同様に、サハラ砂漠の南方への拡大に対するかなりの障壁として機能したと考えられます。この障壁は過去百万年間、現生種のクマによるアフリカへの進出を阻止しました。これまで見てきた通り、サハラ以南のアフリカでアグリオセリウム・アフリカヌムの化石が発見されましたが、それらは明らかに新しい分類群を生み出すことなく絶滅したようで、これは競争が関係している事が示唆されます。

競争に負けたクマ科

これを探求するには、食肉目の進化を全体として見なければなりません。食肉目の祖先は暁新世から始新世中期にかけての約6500万年前から4800万年前に生息していたミアキスと呼ばれる小型捕食動物です。この動物はすぐに犬型亜目とネコ型亜目のふたつに分かれました。ネコ型亜目には全てのネコの仲間が含まれており、主にアフリカとアジアで成功を収める一方で、イヌ、アライグマ、イタチ、アザラシ、そしてクマを含むイヌ型亜目は北米で最も成功し、ヨーロッパに広がりました。

そのため、クマの系統は主に北半球で栄え、アフリカを通って南にうまく広がることができず、アフリカに進出を図ったクマ科が大型ネコ科動物のような優性な動物たちに競争で負けることになりました。今日ではクマ科やイヌ科がいる場所ではネコ科は少なくなり、その逆も同様となっています。

ただし、これまでの説明は生物地理情報と共にクマの祖先をまとめたものですが。完全なものではありません。近年、分類学と遺伝子検査の発達により、進化理論は飛躍的に進歩し続けており、新しい事実が発見される可能性があります。

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