2024年初頭、イギリスで、国立公園の木を何千本も伐採するというプロジェクトが始まりました。環境保護の象徴ともいえる国立公園で、なぜあえて大量の木を切るという行動に出たのでしょうか?
一見すると環境破壊のようにも思えるこの取り組みですが、実はそこにはある重要な目的が隠されていました。今回はその理由と背景について、詳しく解説していきます。
失われたカレドニアン・フォレスト

スコットランドのハイランド地方は、スコットランド北部を占める広大な地域で、険しい山々、深い谷、湖、荒涼とした高原が特徴です。現代では、この風景は手つかずの自然として知られ、多くの観光客や写真家、作家たちを魅了しています。
しかし、約5000年前のこの地は、今とはまったく異なる姿をしていました。当時のハイランド地方は、カレドニアン・フォレストと呼ばれる広大な原生林に覆われていました。カレドニアンフォレストはスコットランドの東から西まで、まさに海岸から海岸まで広がる深い森林であり、現代のハイランドのひらけた風景とは対照的な、鬱蒼とした世界が広がっていたのです。
そこにはヨーロッパアカマツを中心に、シラカバ、ハンノキ、ナラ、トネリコなどの樹木が立ち並び、静かな森がどこまでも続いていました。
豊かな生態系

この豊かな森林には、現在ではすっかり姿を消してしまった大型の野生動物が生息していました。森の奥深くには、オオカミが群れをなして獲物を追い、ヨーロッパヒグマが渓谷の隠れ家で冬眠していました。さらに、野生の馬が草原と林間を行き交い、ヘラジカが湿地帯を歩いていたのです。
この自然界のドラマが展開される森林は、古代のケルト神話やスコットランドの伝承、英雄譚の舞台ともなり、後世に多くの物語を残すことになります。
しかし、人間たちが抱く、この神秘的で豊かな自然のイメージは、残念ながら現在の姿とはかけ離れています。長い時間をかけて続けられてきた開発と利用によって、この地の本来の生物多様性は、ほとんどが姿を消してしまっているのです。
緑の砂漠 – 人工林の現実

実際にハイランドの森を歩いてみると、背の高い木々がそびえ立ち、足元にはやわらかな緑の苔が広がっていて、心地よさを感じることができるでしょう。しかし、これは本当の森ではありません。
実はそこに広がっているのは、人間たちの手で作られた人工林なのです。この林に植えられている木の多くは、北アメリカ原産の針葉樹である、ベイマツと呼ばれる種で、日本でよく知られる松とは異なり、マツ属ではなくトガサワラに近い仲間にあたります。ベイマツは成長が早く、木材としての価値が高いため、20世紀半ばからスコットランドで大量に植林されるようになりました。
単一栽培の問題
このように、見た目は自然の森のように見えるかもしれませんが、実際には木材を育てて刈り取るための木材畑です。すべての木が同じ種類・同じ時期に植えられ、1ヘクタールあたり約3,000本という高密度で並んでいるため、太陽の光が地面にほとんど届きません。
その結果、下草やほかの植物は育たず、わずかに苔が残るのみです。木々は光を求めて空へ空へと伸びていきますが、急成長のせいで梢のあたりでは幹や枝が細くなりすぎ、鳥やリスが巣を作るには適していません。そのため、森のにぎやかな音は聞こえず、静まり返っています。
これは、人間が効率と経済性を優先して作り出した人工林です。見た目は自然に似ていても、そこには野生の命がほとんど残されていません。
世界共通の問題

こうした状況はスコットランドだけに限った話ではありません。世界中の多くの国々で、人間は土地を開発し、いわゆる「緑の砂漠」とも呼べる場所を至るところに作り出してきました。
日本でも同じことが起きています。日本の人工林は主にスギとヒノキが多く植えられており、これらの木は江戸時代の後期から植えられ始めましたが、特に戦後の高度経済成長期に大規模な植林が進みました。これは、スギやヒノキの成長が早く、建築材として需要が高かったためで、国が木材の安定供給を目指して政策的に推進しました。
悲しいことに、人々はそうした自然のイメージに慣れてしまい、本来の豊かな森とは違うその風景を、あたりまえのものとして受け入れてしまっています。もし改めてこの現実に目を向ければ、このような林に感じるのは魔法のような美しさではなく、むしろどこか不気味な静けさかもしれません。
自然の生息地を追われたすべての生き物たちのためにも、根本的な対策が必要なのは明らかです。
アバネシー森林の再生プロジェクト

アバネシー森林は、ハイランド地方に位置する、ケアンゴームズ国立公園の中にあります。ここは、かつて広く分布していたカレドニアン・フォレストの貴重な残存地のひとつです。
この森は植物の種類が豊富で、生態系にとっても理想的な環境となっています。セイヨウネズやシラカバなど、さまざまな樹木が自生しており、樹齢もまちまちです。若木から老木までが混在することで、森は秩序だった造形ではなく、自然な混沌とした姿を保っています。
鳥や小さな哺乳類たちは、高木の樹冠や低木、花を咲かせる植物、若木が茂る下層林、そして生態系全体に栄養を与える林床を自由に行き来しています。
森の王者 – ヨーロッパオオライチョウ

この森では、時折とても奇妙な音が聞こえることがあります。それは森の王者とも呼ばれるヨーロッパオオライチョウの鳴き声です。
ヨーロッパオオライチョウはキジ目キジ科に属する鳥で、ライチョウの仲間では最大級の大きさになり、オスの体長は90cmに達します。特徴的な求愛行動をするこの鳥は非常に貴重で、残された森林がごくわずかであるため、散策者には探しに行かないよう注意が促されています。
スコットランドでは過去50年間でこの鳥の個体数が97%も減少し、現在ではわずか542羽しか確認されていません。
革新的な再生アプローチ
ヨーロッパオオライチョウのような貴重な生物を守るため、アバネシーではヨーロッパ最大規模の土地再生プロジェクトが進行中です。近隣の土地管理者によるパートナーシップであるケアンゴームズコネクトチームは、かつての豊かな生物多様性を取り戻すため、スコットランドの緑の砂漠を再び命あふれる森へと変える計画を進めています。
彼らはオオライチョウだけでなく数えきれないほどの動物たちの復活を目指しているのです。
混沌の必要性

チームは森を再び野生の姿へと戻すために、常識にとらわれない革新的な方法を考えました。この計画を成功させるには、既成概念に縛られない柔軟な発想が欠かせません。
そして、ある意外な要素が絶対に必要になります。それは死、つまり枯れ木の存在です。ここで求められているのは、秩序ではなく混沌で、森に揺さぶりをかけ、大きな嵐が吹き荒れるような状態をもたらすことが必要なのです。
しかし、現在の単一栽培の人工林は、何年ものあいだ、変化のない同じ姿を保ち続けています。あまりにも整然としすぎていて、自然本来のダイナミズムが入り込む余地がないのです。
そこでチームは、何千本もの木々を倒し、自然の混沌を再現することで、人工的に整えられた植林地に刺激を与えることにしました。
自然のプロセスを模倣

この再生アプローチは、確かに一見すると過激に映り、当初は多くの議論を呼びました。木を伐採するのではなく、植えるべきではないか。そんな疑問を抱く人も少なくありません。
しかし、チームがおこなっているのは、自然のプロセスを模倣することです。
枯れ木は、実は生きている木よりも多くの生命を宿しています。倒れた木は微生物や昆虫、菌類の住処となり、食物連鎖の起点として機能します。また、木が倒れたことで光が差し込み、若木や草花が芽吹き、鳥や哺乳類が戻ってきます。こうして、森は再び呼吸を始めるのです。
早期の成果

このプロジェクトは2024年2月に始動し、春から夏にかけてのわずか数か月の間に、早くもその成果が現れ始めました。
実際、倒された木々の周囲では生命が芽吹き、多様性に富んだ微小な生息地が新たに生まれ、豊かな自然のパッチワークが広がってきたのです。こうして現在までに、アバネシーでは30ヘクタールに及ぶ森林の再生が実現しました。
この取り組みは、失われつつあるカレドニアンフォレストを回復させるための重要な一歩であり、地域の生態系や生物多様性の再生にも大きく貢献しているといえます。
結論 – 真の自然再生への道
人間が整えすぎた森林に、あえて混沌を持ち込むことで、自然は再び命を取り戻しはじめています。木を植えるだけではなく、時に壊すことが、真の再生につながる、そんな逆説的ともいえる発想が、スコットランドの地で実を結びつつあるのです。
この取り組みは、単なる環境保全ではなく、人間と自然の関係を見直す、大きな問いかけでもあります。
本当の自然とは何か。その答えを探す旅は、ここから始まっているのかもしれません。
この記事はYouTubeの動画でも見ることができます。
参考:We’re restoring Scotland’s ancient forests · Mission 12 · Planet Wild
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