ブラジル北東部に位置する都市レシフェのビーチは、一見するとラテンアメリカの楽園のようです。ここでは高層ビル群の向こうに美しい白い砂浜が広がり、都会の生活と熱帯の楽園が完璧に融合しています。また、数多くの水路があることから現地の人々は愛情を込めて「ブラジルのベニス」と呼んでいます。
しかし、過去30年間でこの約20kmのビーチは世界で最も危険な海岸線のひとつになってしまいました。地元の人々は自然界で最も恐ろしい捕食者のひとつである、サメとの生死をかけた戦いに巻き込まれているのです。
ここでは1990年代初頭から今日に至るまで、サメによる襲撃が急増し、これまでに26人が死亡しており。地元住民を恐怖のズンドコに陥れています。
それではどうしてこのような事態になったのでしょうか?この記事は熱帯の楽園が世界で最も危険な海岸線のひとつになった理由ついて説明していきます。
レシフェとは?

まず、なぜこのようなことが起きているのかを理解するには、レシフェについて知る必要があります。
レシフェはブラジル・ペルナンブーコ州の州都であり、大西洋に面した港湾都市です。2つの港を持つこの都市は輸出入に依存し、いくつかの河川沿いには工場が並んでおり、ブラジル北東部地域で最も重要な、商業の中心地となっています。そのため近年では、かなりの人口を抱えるようになっており、推定では市内に約150万人、郊外にさらに数百万人が住んでいます。
レシフェは地理的な理由からビーチのすぐそばまで街が整備されており、アメリカ、マイアミビーチのような雰囲気を醸し出しています。そのため、多くの人がビーチでリラックスしたり、日光浴をしたり、散歩を楽しんだりして過ごしています。
この海岸線にある3つの主なビーチはピナ、ボアヴィアージェン、ピエダーデです。すべてのビーチは平らで、海岸から少し離れたところのサンゴ礁が自然の障壁のような役割を果たし、大西洋の波から守られています。この地形のおかげでこれらのビーチは都市で働く人々が仕事を早めに切り上げ、サーフボードを持って海に出て一日の疲れを癒すには絶好の場所となっていました。また、多くの観光客も同様に、この波を求めて訪れています。
サメによる襲撃の発生

ブラジルでサーフィンが流行したのは1960年代で、これは70年代、80年代に入っても続きました。しかし、90年代半ばに、政府がこれらのビーチでのサーフィンを全面的に禁止したことで、ブームは急激に終息しました。政府がこの措置を取ったのは、サメによる襲撃に対する懸念が高まったためです。
1990年以前の、この地域でのサメによる襲撃は散発的に発生する少数の例外を除けば、ほとんど見られませんでした。
しかし、1992年の夏にすべてが変わりました。
1992年6月28日、ピエダーデビーチで男性が、遊泳中にサメに襲われて死亡したのです。このわずか数か月後の9月に、ボアヴィアージェンビーチで別の遊泳者が死亡しました。この短期間に起きた襲撃を始まりとして、1990年代から2000年代にかけて18人が命を落とし、その他多くの人々がサメに噛まれて手足を切断するなど、重大な事態に陥りました。
さらに1992年から2023年までに、この地域では77件の攻撃があり、そのうち67件はレシフェまたはその非常に近辺で起き、死者数は26人にものぼりました。
政府によるサメ対策

政府は1992年から2006年の間、レシフェ全域でサーフィンを禁止し、サメの警告標識を増やしていたものの、死者数を見れば、この戦略が十分には機能していなかったことがわかります。
そこで政府は、2004年に、世界の他の地域には見られない特別なアプローチである、レシフェサメ監視プロジェクトを開始しました。このプロジェクトは遊泳者を危険から守るだけでなく。サメの安全も確保するものです。
政府はエサが入ったトラップをビーチに設置し、トラップに掛かったのがコモリザメのような攻撃的でないサメの場合はその場で逃がし、人間に攻撃する可能性のある種にはタグが付けられ、レシフェの海岸線からはるかに離れた深い海域に放されました。
このプロジェクトは、2004年から2011年までの73か月間実行され、その間に11回のサメの襲撃がありました。ただし、そのうち10回の襲撃は資金不足のためにプロジェクトが2年間中断されていた期間中に発生しています。
つまり、プロジェクトが実際に行われていた期間にサメに襲われたのは1回だけだったのです。これは非常に興味深い数字であり、少なくとも一時的には効果があった可能性があります。
ただし、このプロジェクトは2011年に停止されており、その結果、2012年と2013年にサメによる襲撃が再び増加し始めました。
どの種のサメによる襲撃か?

これらの攻撃はどの種のサメによるものなのでしょうか?
遊泳者やサーファーの傷口のひどさから判断すると、容疑者はイタチザメとオオメジロザメの2種に絞られます。これらの種は両方とも強力な咬合力を持ち、簡単に人間の手足を切断することができ、どちらも日和見的な捕食者で、生きるためならなんでも食べます。
襲撃中のサメの種類を確実に特定することはほとんど不可能であるため、科学者はそれを解明するために、噛まれたあとの大きさと形で分析しなければなりません。そして、最も妥当なものとして浮かび上がったのがこの2種のサメです。
ただ、レシフェの環境的、地理的条件を考慮すると、これら2種のうち、1つに絞られる可能性があります。
レシフェの都市は主に2つの大きな河川に沿って建設されているため、大規模に工業化される以前は、これらの河川はオオメジロザメの出産場所だったことが推測されます。オオメジロザメは胎生で、河川に移動して子を出産します。そのため、この地域ではかなり多くの個体群が見られた可能性があります。
このことからレシフェで相次いでいる襲撃は、オオメジロザメによるものだと考えられます。
しかし、オオメジロザメが以前から生息していたはずなのに、1990年代まではほとんど襲撃が起きていません。それではどうして近年になって急激にその数が増えたのでしょうか?
サメの襲撃が起こりやすくなる条件

そこでここからは、レシフェでのサメの襲撃が起きやすい要因をいくつか見ていきましょう。
まず、その要因のひとつに、レシフェの人口が多いことが挙げられます。冒頭でもお話しした通り、レシフェは人口150万人を抱える大都市です。そして、ここに住む多くの人々にとって、ビーチは文字通り目と鼻の先にあります。そのため、単純に考えて、海を利用する人が多いと、サメとの接触の機会も増えます。
しかし、レシフェの海の状況を見ると、襲撃のリスクを高める要因がさらにいくつかあることがわかります。
これらのビーチは特に南大西洋から来る波によってかなり荒れており、濁っています。つまり、泳いでいる人は水中のサメを実際に見ることができないだけでなく、サメからも基本的に水面上に出ない限り、人間をよく見ることができません。このように、視界の悪さは襲撃の大きな要因です。
次は、ビーチの形状です。ボアヴィアージェン、ピエダーデなどのビーチは平らな砂地が続いており
沖合にかなり離れても、少なくともサンゴ礁の障壁までは、水深は浅いままです。そして、興味深いことに、サンゴ礁の向こう側は急に深くなっています。かなり深い溝がビーチとほぼ平行に走っているため、大型のサメが海岸のすぐ近くまで移動しやすいのです。
このように、「サーファーや遊泳者が集まる、はるかに浅い水域にサメが非常に素早く移動できること」と、「海岸を利用する人の数」、そして「海の透明度」を合わせるとサメによる襲撃につながる3つの要因が揃います。
しかし、この条件はサメによる襲撃が急増する1990年代以前も同じだったはずです。つまり、これらすべての要因がサメによる襲撃のリスクを高めるかもしれませんが、必ずしも急増した理由を説明するものではありません。
レシフェでサメの襲撃が急増した原因

実は、人間が自然界に干渉した結果、それがサメの行動の変化を引き起こした可能性があります。
冒頭でレシフェは歴史的に商業化された都市であり、輸出入に依存していると述べました。レシフェから南に約16km離れた場所に、スアペ港があります。
スアペ港は1970年代後半に建設が始まり、1983年に正式に開港した後も、1980年代を通じて拡大を続け、1989年には大量の船が入港するに至っています。このスアペ港の建設と拡張の一環として、周辺のマングローブ林があった、2つの河口が塞がれました。これらの河口の閉鎖により、農業による洪水が発生し、サンゴ礁の大部分が破壊さました。
そしてこのサンゴ礁に依存する、海洋生物の多様性が変化したため、オオメジロザメの餌が不足するようになった可能性があります。ある生物が生涯のさまざまな段階で必要としていた生息地から追い出されると当然、新しい生息地を見つけることを余儀なくされます。
そしてたまたま、スアペ港から数km上流にジャボアタン川とピラパマ川という、そこそこまともな生息地があります。これら2つの水系はレシフェの南端に位置し、ボアヴィアージェンとピエダーデのビーチから数km足らずのところにあります。
これだけの要因でサメが人を噛むようになることはありませんが、スアペ港の建設に加え、ジャボアタン川の河口に2番目の要因がありました。
当時、ジャボアタン川の川岸には屠殺場がありました。1990年代から2000年代にかけてこの屠殺場では、毎日100頭の牛が屠殺されていたとさえ報告されています。その結果、大量の血液やその他の富栄養物が河口に流れ込み、それがその海岸に沿った北向きの海流によって、ビーチに向かって押し流されたと考えられます。
屠殺場とサメの関係はこの場所特有のものではありません。1980年代にソマリアで非常によく似た状況が発生しています。そこでは、ビーチ近くの河口に屠殺場が設置されたため、数年の間にその地域でサメによる致命的な攻撃が数回発生しています。
つまり、「生息地から追い出された大型のサメが」、「海流に乗って排水が運ばれた」、「視界が悪く」、「近い場所に深い溝がある」、「人が密集したビーチに集まった」ことが、この場所でのサメの襲撃が多発する原因です。
ただし、これはあくまでの仮説にすぎず、科学的にこのことが原因であると証明することは不可能でした。もちろん、スアペ港の建設会社はサメの襲撃の原因であるという主張を否定しています。
一方、屠殺場はサメの襲撃と関連している可能性があるという事実に気付くと閉鎖されました。
現在行われているサメ対策

しかし、その時点ですでにサメの行動を変えてしまったようです。死亡事故は3年以上前起きていないものの、サメの襲撃はまだ起来ています。
そのため、現在でもライフガードはサメの安全対策の訓練を続けており、水に入るサメを迂回させるために足首に鋭利な忌避剤を装着しています。ここでは水の視界が非常に悪いため、ドローンやサメ監視員が実際には役に立たないことは明らかです。
さらに、政府は観光客と地元の人々の両方に対して安全に関する教育を強化し、これらの地域で泳ぐことの危険性を理解してもらう必要があります。
この記事はYouTubeの動画でも見ることができます。
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