パキスタンで発生した大洪水の後、奇妙な姿をした木々が出現しました。一見するとエイリアンの卵のような、白い繭に覆われたこれらの木は、実は自然界の驚くべき適応の結果でした。本記事はこの不思議な現象について詳しく解説しています。
大洪水の発生

この奇妙な木々の謎を解く鍵は、その周囲に見える水にあります。2010年7月22日頃、パキスタンの山岳地帯でモンスーンによる記録的な豪雨が降り始めました。カイバル・パクトゥンクワ州、パンジャブ州、バロチスタン州で鉄砲水が発生し、堤防は崩壊、道路や橋は流され、広大な土地が浸水しました。
この洪水は多くの公共サービスとインフラを破壊し、1万校以上の学校と500の診療所・病院を破壊または損壊させ、8000km以上の鉄道と道路を分断しました。被災者の多くは小規模農家で、約120万ヘクタールの作物と約120万頭の家畜が失われました。
死者数は推定1200人から2200人にのぼり、約160万戸の家屋が損傷または破壊され、1400万人が家を失いました。被災者の総数は約2000万人に達したとされています。
救助活動と長期的影響

救助活動はパキスタン軍が主導し、アメリカやイギリス、その他慈善団体などが支援に当たりましたが、8月に入っても雨は降り続け、8月中旬までにパキスタンの国土の約1/5が水没していました。水位の上昇と道路や橋の甚大な被害のため、救助隊員と人道支援団体による孤立した被災地域へのアクセスは困難を極めました。
この洪水はパキスタンに長期的な影響を与えることとなり、洪水が収まった数カ月後も何十万人もの人々が不十分な衛生設備と食料供給の中、一時的なキャンプでの生活を余儀なくされました。そのため、多くの人々が栄養失調や水系感染症にかかりやすい状況に置かれました。
パキスタン政府は洪水による経済的損失を合計430億ドル(約6兆4200億円)と推定し、洪水の翌年、人道支援団体や個人からの国際援助は合計13億ドル(約1194億円)に上りました。
インダス川の水位が元に戻ったのは2010年10月のことでしたが、低地では2011年の初めまで水が引くことはありませんでした。そして、最も被害が大きかった州の一つであるシンド州では、その頃から各地でこの奇妙な木が見られるようになりました。
クモの糸で覆われた木々

実はこの繭のように見えるものはすべてクモの糸によって作られたもので、これらの木は何万ものクモに覆われていたのです。これらのクモはもともと木の上で生活する種ではなく、通常は地面や地下に棲んでいます。洪水によって住処を失い、水を逃れるために高い場所へ避難したのです。
しかし、地面や地下に棲むクモがどうして木の上まで移動できたのでしょうか?
クモの驚くべき移動能力

科学誌”BMC Evolutionary Biology”に掲載された宮城教育大学の研究員である林守人先生の論文によると、陸上動物であるクモが風の力を使い、水上を航行することがわかっています。パキスタンの木に逃れたのは、少なくとも20種以上の異なるクモたちでした。
これらのクモは簡単に水に沈むことはありません。彼らは水をはじく毛と腹部を持っているため、水面の上を歩くことができるのです。さらに、クモは足を上げ、体と腹部を使って水上を滑ることもできます。また、糸を出して移動するスピードを調節することも可能です。こうして木の幹や枝に糸を発射し、洪水から逃れることができたと考えられています。
クモは水上を移動するだけでなく、空を飛ぶこともできます。彼らは糸で作った帆を広げ、風に乗って何キロも離れた場所に飛んでいくことができるのです。これは一般的に「バルーニング」と呼ばれています。
クモのバルーニング

Moonsung Cho, Peter Neubauer, Christoph Fahrenson and Ingo Rechenberg, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
クモ類の子供たちは生まれると最初は一カ所に集まっていますが、ある時期になると分散していきます。この時、多くのクモがバルーニングを行います。
原始的なジグモなどは長い糸を放出して、その先にぶら下がり、風に吹かれて糸が切れると、そのまま風に乗って飛んでいきます。一方、より高等なクモは、草や木の先端に出ると体を持ち上げ、腹部を上に向け、数本の細い糸を出し始めます。するとその糸は上昇気流に乗って吹き上がり、やがてクモが足を離すとそのまま空中へ引き上げられるのです。
多くのクモでは、この飛行は幼い時期のみに限られますが、小型のクモ、ハエトリグモ類などは成虫も飛行することがあります。この飛行は時には長距離におよび、大量の沖合いで船にクモの糸が引っ掛かったという報告もあります。4km上空まで上昇気流に乗って飛んだことも知られています。
さらに、クモは風がない場所でも飛べることがわかっています。彼らは非常に軽いため、大気中に常に存在する静電気によって浮力を得ることができるのです。このバルーニングにより、クモは分布域を拡大しています。無人島に最初に到達する生物の一つは、まず間違いなくクモです。高空の生物を調査するために高い所に網を設置する研究でも、よくクモが捕獲されます。
クモの巣の「絨毯」と影響
こうして水上を滑ったり空を飛んだりして木にたどり着いたクモたちは、巣を何重にも作り、結果として繭に覆われたような木ができあがりました。
このような光景はパキスタンだけでなく、世界中で確認されています。オーストラリアのワガワガ市の住民は、2012年の春の洪水後、同様の現象を目撃しました。そこではクモが大きく広い糸の絨毯で野原や木々を覆っていました。
これらの原因となったクモはサラグモ科のなかまで、彼らが危険を感じた時、糸を空中に放出して素早く移動することで知られています。
このクモの木が持たらした影響

このようなクモの巣で覆われた不気味な光景は人間を怖がらせるかもしれませんが、これらのクモはほとんどが無害です。しかし、いくつかの種は致命的ではないにしても毒を持っているため、近づかない方が賢明でしょう。
また、これらの木は太陽の光が届かないため、最終的に枯れてしまう可能性があります。そうなると木陰を失うことになり、特に夏の暑い時期はこの地域に住む人々にとって過酷な環境となるでしょう。
しかし、悪いことばかりではありません。このクモの糸の存在は、洪水後のパキスタンにプラスの影響を与えた可能性もあります。大量に増えた水たまりは多数の蚊を発生させますが、この繭のような巣ができた地域ではクモがそれを捕食するため、マラリアを媒介する蚊の数が大幅に減少しているからです。
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