オーストラリア・エデンのシャチと人間の協力捕鯨 – オールド・トムの物語

生物

オーストラリア南東部の港町エデンでは、19世紀から20世紀初頭にかけて、極めて珍しい現象が起こっていました。シャチの群れが人間の捕鯨業者と協力関係を築き、お互いに助け合いながら捕鯨を行っていたのです。この驚くべき共生関係の中心にいたのが、「オールド・トム」と呼ばれる一頭のシャチでした。

エデンという町と捕鯨の歴史

SupsophCC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

エデンは、シドニーから南に約470キロメートルに位置する港町で、1842年に捕鯨基地として設立されました。西には鬱蒼とした森が広がり、東には海が開けるこの土地は、19世紀オーストラリアの捕鯨業にとって重要な拠点となりました。

1857年、スコットランド系移民のアレクサンダー・デビッドソンが息子のジョンとともにこの地で捕鯨業を始めました。彼らの捕鯨基地は1860年代に建設され、オーストラリアで最も長期間運営された捕鯨基地として歴史に名を残しています。

デビッドソン家は年間を通してエデンに住む唯一の捕鯨業者家族で、手漕ぎボートや手投げ銛などの伝統的な技術を用いて捕鯨を行っていました。彼らの特徴は、機械による大きな音でシャチにストレスを与えることなく、コストを抑えた捕鯨方法を確立していたことでした。

先住民との深いつながり

デビッドソン家の捕鯨業が長期間継続できた重要な要因の一つは、オーストラリア先住民の男性を乗組員として雇用していたことです。彼らは白人と同等の条件で雇用され、シャチの生態に精通していたため、デビッドソン家はシャチとの良好な関係を築くことができました。

先住民の人々は、シャチを「ベオワ」(兄弟)と呼び、特別な存在として敬っていました。シャチの体色と、儀式の際に着用する伝統的な白黒の衣装が似ていることから、シャチを祖先の生まれ変わりだと考えていました。また、捕鯨者が亡くなるたびに新しいシャチが現れるという偶然の一致がしばしば起こったため、死者の魂がシャチに宿るという信念を持つようになりました。

「楽園の殺し屋」シャチの群れ

デビッドソン家の捕鯨を手伝っていたシャチの群れは、「楽園の殺し屋(Killers of Eden)」と呼ばれていました。この群れは5月下旬から9月上旬までの冬季に毎年エデンに留まり、約80年間にわたって20〜30頭のシャチで構成されていました。

21頭のシャチに名前が付けられており、背びれの形状の違いによって個体識別が行われていました。タイピー、ストレンジャー、ジャクソンなど、その多くの名前は亡くなった先住民の捕鯨者に由来しています。

伝説のシャチ、オールド・トム

この「楽園の殺し屋」のリーダーが、オールド・トムと呼ばれるシャチでした。体長6.7メートル、体重6トンと推定されるオールド・トムは、デビッドソン家の三世代にわたって捕鯨を支援し、1860年代から1930年まで毎年姿を現していました。

オールド・トムは曲がった特徴的な背びれによって他のシャチと区別され、非常に高い運動能力と熟練したハンターとしての技術を持っていました。性別については当時の技術では判断できませんでしたが、シャチの群れは母系社会で構成されており、オールド・トムの体格や長寿であったことを考慮すると、メスであった可能性が高いと考えられています。

シャチと人間の協力システム

シャチと人間の間には、互いに利益をもたらす巧妙な協力システムが確立されていました。

シャチによる捕鯨支援

シャチたちは以下のような方法で捕鯨を支援していました:

  1. カモフラージュ効果: シャチの背中は黒いため上から見えにくく、腹部は白いため下から見えにくいという体色が、獲物への接近を容易にしていました。
  2. 組織的な狩り: 15〜30メートルほどのヒゲクジラを狩る際は、三つのグループに分かれて作戦を実行していました。
    • 第一グループ:外洋にとどまり、クジラの逃走を阻止
    • 第二グループ:クジラの下を泳ぎ、深く潜ることを防止
    • 第三グループ:クジラを攻撃し、疲労させる
  3. 合図システム: クジラが追い込まれると、オールド・トムは通常、捕鯨基地の前で泳ぎながら「ブリーチング」(水面を叩く行為)を行い、捕鯨船の注意を引いて海に出るよう呼びかけていました。
  4. 誘導: デビッドソン家の船が海に出ている場合、シャチたちは緑色のデビッドソン家のボートを他の捕鯨者の白いボートと区別し、ヒゲクジラをデビッドソン家の船に向かって追い込んでいました。

「舌の法則」という暗黙のルール

シャチと人間の間には「舌の法則」という暗黙のルールが存在していました。これは、捕鯨者がクジラの死骸を沖合いまたは海岸近くに固定し、シャチが舌と唇を食べることを許可するというものでした。シャチはヒゲクジラの舌と生殖器を好んで食べるため、脂身と骨は無傷のまま残り、捕鯨者がそれらを利用できるという相互利益的な関係でした。

この「舌の法則」はオーストラリア先住民の歴史にまで遡り、何世代にもわたって地元の人々がシャチに餌を提供してきた伝統に基づいていました。

関係の悪化と衰退

しかし、この素晴らしい共生関係は徐々に悪化していきました。

1901年、岸に乗り上げた「楽園の殺し屋」のメンバーの一頭が、他の捕鯨者によって殺される事件が発生しました。この出来事により、先住民の乗組員たちはデビッドソン家を離れてしまいました。

労働力不足に加えて、鯨油の代替品が市場に出回ったことや、他の捕鯨船の増加によるヒゲクジラの減少が、デビッドソン家の事業を衰退させました。さらに深刻だったのは、オールドトム以外の「楽園の殺し屋」のメンバーがほとんど殺されてしまったことです。

地元の人々は、シャチと捕鯨船の協力関係を知らないノルウェーの捕鯨者によってシャチが殺されたと考えています。これらの外国人漁師や捕鯨者は、しばしばシャチを漁業の邪魔をするものとみなし、積極的に攻撃していました。

オールド・トムの最期

1926年以降、エデンではヒゲクジラが見られなくなりましたが、オールド・トムは一頭で死ぬまで毎年戻ってきていました。シャチは本来社会的な生き物であり、単独で見られることは極めて稀です。オールド・トムが戻り続けていたのは、慣れ親しんだ場所への愛着からだったと考えられています。

オールド・トムは1930年9月17日、デビッドソン家の三代目であるジョージ・デビッドソンによって砂浜で死んでいるのが発見されました。死因は明確ではありませんが、専門家は歯の摩耗により餌を食べることができなくなり、餓死したのではないかと推測しています。シャチは通常、歯の摩耗により餓死することが知られています。

オールド・トムの正確な年齢については議論があります。1977年の研究では約35歳とされましたが、この年齢推定方法は現在では不正確だったと考えられています。デビッドソン家が三世代にわたってオールド・トムの助けを借りて捕鯨を行ったという証言が正しければ、90年以上生きていたことになります。

現在に残る記憶

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現在、オールド・トムの骨格は保存され、エデン博物館に展示されています。この博物館は、オールド・トムの物語と捕鯨の歴史的重要性を後世に伝えるため、1931年に設立されました。

博物館ではエデンの歴史とオールド・トムに関する常設展示に加えて、巡回展示も行われています。主要な見どころは、なんといってもオールド・トムの全身骨格標本です。

おわりに

エデンのシャチと人間の協力関係は、野生動物と人間の間に築かれた稀有な共生関係の例として、今も多くの人々に感動を与えています。オールド・トムの物語は、異なる種族間の理解と協力の可能性を示すとともに、環境の変化や人間の活動が自然界に与える影響についても考えさせられる貴重な歴史的事例といえるでしょう。

オーストラリアを訪れる機会があれば、ぜひエデン博物館を訪れて、この感動的な物語の舞台となった場所で、オールド・トムと「楽園の殺し屋」たちの記憶に触れてみてはいかがでしょうか。

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