ゴンベ・チンパンジー戦争:人間のように計画的に戦争する野生動物

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計画的な戦争は人間だけが行うものだと、長い間信じられてきました。しかし、1974年から1978年にかけてアフリカのタンザニア・ゴンベ渓流国立公園で起きた出来事は、この常識を根底から覆すことになります。

「ゴンベ・チンパンジー戦争」または「四年戦争」と呼ばれるこの事件は、単なるチンパンジー同士の縄張り争いではありませんでした。そこには計画的な殺戮、無慈悲な暴力、そして勝利への狂喜が存在していたのです。この戦争により、一つの群れのオスは全て殺害され、もう一方の群れは縄張りを大幅に拡大することに成功しました。

この出来事が「戦争」と呼ばれる理由、そしてそれが人類について教えてくれることを詳しく見ていきましょう。

研究の背景:平和的動物という誤解

ゴンベ渓流国立公園の深い森では、現在もチンパンジーが縄張りを持った群れで暮らしています。イギリスの霊長類学者・人類学者であるジェーン・グドール博士は、1960年代からこの場所でチンパンジーの観察を続けていました。

当時、チンパンジーは縄張りを持つということは既に知られていましたが、これから説明するような残忍な行動をするとは誰も想像していませんでした。それどころか、1970年頃まではチンパンジーは友好的で平和的な動物だと信じられていました。雑食性だということも知られておらず、完全な草食動物だと思われていたのです。

現在ではチンパンジー研究で非常に有名なグドール博士ですが、このような時代背景や、彼女自身が大学で専門的な生物学の知識を学んでいなかったことから、他の科学者は最初、彼女の報告を信じませんでした。

戦争前夜:群れの分裂

この戦争が始まる前の1971年、群れのリーダーであるアルファオス(群れの最上位雄)のリーキーが亡くなりました。そのため、群れは新しいリーダーを必要とし、強力なハンフリーと呼ばれるオスがアルファオスになりました。

しかし、偉大なリーダーであったリーキーが不在の群れは、時が経つにつれてうまくいかなくなりました。チャーリーヒューなどの兄弟が問題を起こし始めたのです。

その後、この群れはハンフリーを支持した者たちとチャーリー・ヒュー側に就いた者たちの二つに分かれてしまいました。そしてチャーリーとヒューは南に移動し、「カハマ」と呼ばれるグループを作ったのです。

カハマグループの構成

このグループは6頭の大人のチンパンジーとメス数頭、そしてその子供たちから成ります。カハマの大人のオスは以下の通りでした:

  • リーダーのチャーリーとヒューの兄弟
  • ゴディ
  • ディー
  • ゴライアス
  • スニフ

カサケラグループの構成

ハンフリーは元々のグループと共に北側に留まりました。このグループを「カサケラ」といい、8頭の雄、12頭のメス、そしてその子供たちから成ります。この大人のオスには以下が含まれています:

  • リーダーのハンフリー
  • サタン
  • シェリー
  • エベルド
  • ルドルフ
  • その他のメンバー

戦争の始まり:最初の血

1974年1月7日、最初の血が流れました。カサケラグループのハンフリー、シェリー、エベルド、ルドルフが、カハマグループのゴディに奇襲をかけたのです。

ゴディは木の上で一人で餌を食べているところを狙われました。彼は力ずくで木から引きずり降ろされて暴行を加えられました。これが原因でゴディは亡くなりました。

驚くべきことに、ゴディが倒れると、勝ったチンパンジーたちは枝を引きずったり投げたりして騒々しく喜びました。この時、あるオスはゴディの体に大きな岩を投げつけています。まさに「勝利の雄叫び」とも呼べる行動でした。

計画的な殺戮の継続

その後の4年間、カサケラグループはカハマグループに悪意のある攻撃を続けました。彼らの戦術は巧妙で計画的でした。

チンパンジーは餌を食べているときが一番無防備になります。彼らは仲間に餌を奪われないよう、一人で食事を取ることがあります。カサケラグループは攻撃を仕掛ける前に隠れて、この孤立した食事の時を狙ったのでした。

犠牲者たち

ゴディの後、以下の順番で犠牲者が出ました:

  1. ディー – 第二の犠牲者
  2. ヒュー – チャーリーの兄弟
  3. ゴライアス – 最年長のオスで、別れたグループの若いオスからも尊敬されていたチンパンジー

特にゴライアスの死は象徴的でした。彼は争うことを望まず、平和的に解決しようとしました。しかし、彼の優しさは報われることなく、躊躇なく殺されることとなったのです。

最後の抵抗と終戦

カハマのオスはチャーリー、スニフになっていました。チャーリーが殺害された後、最後に残ったスニフはその後1年間生き抜きました。彼は他の群れに逃げ込み、そこで安全に暮らせるかのように思われました。しかし、再びカサケラグループに狙われ、カハマのオスたちは逃げ切ることができませんでした。

最後のオスのスニフが殺されると、次にカサケラはカハマのメスを取り込もうとしました。結局、カハマのメスの1頭が殺され、2頭は行方不明に、そして残りのメスは暴力的に服従させられてしまいました。

そしてカサケラはカハマの領土を手に入れることに成功したのです。1978年の終わりには、すべてのカハマグループのメンバーはカサケラに所属していました。

勝者の没落

しかし、この話はカサケラグループにとってもハッピーエンドで終わることはありませんでした。

南から「カランデ」と呼ばれる、より大きなチンパンジーのグループが彼らの場所に移動してきたのです。カサケラグループはこれに歯が立ちませんでした。結局、彼らは縄張りを去ることとなり、カハマだった元の場所をカランデグループに譲り渡すこととなったのです。

北に戻ったカサケラでしたが、今度は北部から「ミトゥバ」というグループが縄張りを広げ、カサケラのメンバーに嫌がらせをしてきました。最終的にこの嫌がらせは収まりましたが、カサケラは縄張りを大きく縮小することとなりました。

戦争が教えてくれること

これまで計画的な暴力は人間だけのものと思われていました。しかし、ゴンベ・チンパンジー戦争での攻撃は、衝動的なものでも思いつきによるものでもありませんでした。これがこの縄張り争いを「戦争」と呼ぶ大きな理由です。

チンパンジーは以下のような人間らしい行動を見せました:

  • 計画性: 待ち伏せし、最も弱い瞬間を狙う
  • 集団行動: 複数で協力して攻撃を行う
  • 残酷性: 必要以上に暴力を振るう
  • 勝利の表現: 敵を倒した後の狂乱状態
  • 領土拡張: 単なる防衛ではなく、積極的な侵略

これまでチンパンジーは人間に似ているものの、どちらかというと人間よりも平和的だとグドール博士は思っていました。しかし、この戦争の勃発により、彼女は大きなショックを受けることとなりました。

結論

ゴンベ・チンパンジー戦争は、チンパンジーの闇の部分を見せるきっかけとなった出来事でした。この戦争は、暴力と戦争が決して人間だけの特権ではないことを示しています。

同時に、この出来事は人間の本性についても考えさせてくれます。人間の中にある暴力性、縄張り意識、集団での残酷さは、進化の過程で受け継いだ古い遺産なのかもしれません。

ゴンベ・チンパンジー戦争は、人間らしさとは何か、平和とは何かを改めて考えさせてくれる、貴重な研究事例として今後も語り継がれていくことでしょう。


この記事は、ジェーン・グドール博士の長年にわたる研究に基づいています。ゴンベ渓流国立公園でのチンパンジー研究は現在も続けられており、私たちの祖先や人間性についての理解を深め続けています。

この記事はYouTubeの動画でも見ることができます。

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