イチョウは公園や道路、神社仏閣に植えられている身近な植物ですが、実はレッドリストの絶滅危惧種に指定され、野生種は中国に僅かに存在するだけと言われています。この自然から姿を消しかけていた植物を世界に広めたのは人間です。それではイチョウに一体何が起きたのでしょうか。本記事はイチョウについて解説しています。
イチョウの基本情報

イチョウは落葉高木植物で裸子植物の仲間です。樹木の名としては他に「ギンキョウ(銀杏)」、「ギンナン(銀杏)」 や「ギンナンノキ」とも呼ばれます。ただし普通、銀杏は種子のことを指します。
イチョウは多数の太い枝を放射状に出して、丸みを帯びた卵型の樹冠を形成します。この木は高さ20〜30m、幹直径2mに育ちますが、大きいものは樹高が40〜45m、直径4〜5mに達します。日本各地には幹周りが10mを超えるような巨木が点在しています。
日本で最大のイチョウとして知られているのは、青森県西津軽郡深浦町にある北金ヶ沢のイチョウで、樹幹周りは22mもあり、環境省が2001年に実施した巨木林調査において、イチョウの中では全国第1位と認定されています。
イチョウは雌雄異株であり、葉の輪郭で雌雄を判別できるという俗説がありますが、実際には生殖器官の観察が必要です。また、秋になると気温に関係なく、一斉に落葉前の葉が鮮やかな黄色に紅葉します。そして地面に落ちてからも葉はしばらくの間、色を失わないため、黄色の絨毯を敷いたような情景を見ることができます。
イチョウの強靭さと利用価値

イチョウは大気汚染に対する耐性が高く、コンクリートの下でも根を張ることができます。そして、大木であっても移植が容易です。また、寒暑に強く、病虫害への抵抗力も強く、どこでも生育する力が盛んで強い剪定にも耐えるため、日本では公園や街路樹、社寺などに北海道から沖縄まで広く植栽されています。
東京都の明治神宮外苑や大阪市御堂筋の街路樹などがイチョウ並木として非常に有名です。2007年の国土交通省の調査によれば、街路樹として57万本のイチョウが植えられており、樹種別では最多本数です。
北半球ではメキシコシティからアメリカ合衆国のアンカレッジ、南半球では南アフリカのプレトリアからニュージーランドのダニーデンのような高緯度地方に分布し、日本以外でもイチョウは極地方や赤道地帯を除いて世界中で見られます。
絶滅危惧種となった理由

このように丈夫でたくさん植えられている木のはずのイチョウですが、IUCNレッドリスト1997年版で希少種に、1998年版では絶滅危惧種に評価されています。これは一体どういうことでしょうか?
イチョウ類は地質学的にはペルム紀に出現し、中生代、特にジュラ紀まで全世界的に繁栄していました。日本でも山口県や北海道で化石が発見されており、太古の世界にはさまざまな種類のイチョウが存在していたと考えられています。
アメリカの地質層で出土した化石から、イチョウは6000万年もの間、現在の形のまま存在していることが分かっています。そのため、イチョウは世界で最古の裸子植物の一つとして、カブトガニなどと同じように「生きている化石」と呼ばれています。
しかし、新生代になると、6600万年前ごろに始まった寒冷化とともに、イチョウは北米やヨーロッパから姿を消し始めます。これは被子植物が多様化し、広がり始めた時期です。現在は23万5千種以上の被子植物が存在します。被子植物は進化や繁殖・成長が早く、果実や花びらがあるため、植物食動物や受粉者にとって魅力的です。
一方のイチョウは強烈な匂いを持つことで知られており、メスの木は種子を作りますが、その種子は酪酸を含む「肉質外種皮」に包まれています。この酪酸は、人間の嘔吐物の特徴的なにおいでもあります。イチョウの種子が臭いのは、臭いの強いものを好む動物に食べられることを期待したためだと考えられています。
その動物に食べられたイチョウの種子は消化されずに糞に混ざって遠くに運ばれ、新しい生息地を拡大していたのです。しかし、この種子を食べる動物は絶滅してしまいました。実際に日本のサル、ネズミなどの動物はその臭いのため、このイチョウの種子を食べようとしません。ただし、外来種として持ち込まれたアライグマは食べるといわれています。
イチョウは新しい植物との競争の中で隅に追いやられ、日本でも約百万年前に絶滅しています。こうして11,000年前に最終氷期が終わった時には、イチョウは中国にしか残っておらず、現在イチョウは裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属に属する唯一の現存種となりました。
野生のイチョウの再発見

野生のイチョウは、2012年に論文が発表されるまで、完全に絶滅したものと思われていました。しかし、この論文で、中国南西部の大婁山(ターロウシャン)に野生のイチョウが生息している証拠が示されました。
論文の著者で、中国の雲南大学の生態学者であるシンディ・タン氏は、「中国の亜熱帯地域にある避難場所には、まだ野生のイチョウ個体群があるかもしれないが、さらに詳しい調査が必要です」としています。ちなみに、栽培イチョウの改良を目指す育種家にとっては、このような野生の木が持つ遺伝的多様性はまさに貴重な宝となります。
イチョウと人間の歴史

中国でのイチョウの記録は10世紀以前にはなく、古い記録としては政治家、詩人、文学者、歴史学者であった欧陽脩が『欧陽文忠公集』で書き記した珍しい果実(実際には種子)のエピソードが残されています。
それに先立ち、現在の中国安徽省に自生していたものが、11世紀初めに当時の北宋王朝の都があった開封に植栽されたという記録があり、中国でイチョウが広く見られるようになったのはそれ以降であるという説が有力です。
千年前に人間がイチョウを好むきっかけになったのは、その種子のためだと考えられています。中国の人々は薬用としてその種子を食べるため、他の場所では存在しなくなって久しいイチョウの木を植え始めたのかもしれません。
イチョウは現在でも日本や中国など東アジアにおいて習慣的に食用とされており、韓国では露店でも焼いたイチョウを販売しています。イチョウの種子である銀杏は固い殻の中に含まれる胚乳が食用となります。
この胚乳には栄養素として澱粉が豊富に含まれ、もちもちとした食感と独特の歯ごたえがあります。他にもレシチンやエルゴステリン、パントテン酸、カリウム、カロテン、ビタミンC、ビタミンB1も含有しています。この銀杏は胸痛や激しい動悸、下痢などを治すとされてきました。
ただ、健康な一般成人では、銀杏は十数粒程度の適切な量であれば食用として安全ですが、銀杏の食用部分にはメチルピリドキシンという成分が含まれていて、大量に食べるとまれに食中毒を起こすことがあります。症状は主に痙攣、吐き気、不整脈や発熱が報告されています。
これは太平洋戦争前後などの食糧難の時代に中毒報告が多く、大量に摂取したために死に至った例もあります。このため、イチョウを食べ過ぎないことと、5歳以下の幼児には食べさせないように注意喚起されています。
日本へのイチョウの伝来

こうして中国で仏教寺院などに盛んに植えられていたイチョウは、日本にも仏教とともに伝来したとみられます。伝来年代には古墳時代、飛鳥時代、奈良・平安時代、鎌倉時代、室町時代説など諸説あるものの、憶測や風説でしかないものも混じっています。
長崎県対馬市の「対馬琴のイチョウ」が樹齢が1500年と言われ「大陸から日本に伝わった最初のイチョウ」という伝承があります。ただし、イチョウは平安時代の王朝文学にも記載が無いため、1200年代までには日本に伝来していなかったと考えられています。
1323年に当時の元の寧波から日本の博多への航行中に沈没した貿易船の海底遺物の中からイチョウが発見されています。また、1370年頃に成立したとみられる『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』が文字資料としては最古と考えられています。そのため、1300年代に貿易船により輸入品として日本に伝来したと考えられます。
室町時代中期にはイチョウの木はかなり一般化し、1500年代には食品としても樹木としても、人々の日常生活に深く入り込んでいきました。現在、古い社寺の境内には樹齢数百年を超えると称される大イチョウが多く見られます。
イチョウの近代以降の歴史

銀杏は、古くは戦国時代の非常時の備蓄食糧に使われたと言われており、今日では日本全土で生産されています。銀杏採取を目的としたイチョウの栽培は、1841年に愛知県稲沢市のイチョウで、富田永左衛門がイチョウの品種「久寿」となる苗を植えたことに始まるとされています。現在、稲沢市の銀杏は日本一の生産量を誇ります。
イチョウは耐火力に優れているとみなされ、江戸時代には火除け地に多く植えられました。大正時代の関東大震災の際には延焼を防いだ例もあったため、防災を兼ねて街路樹にイチョウが多く植えられるようになったと言われています。
17世紀後半になると、イチョウはヨーロッパに持ち込まれました。日本を旅したこともあるドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルが、イチョウを最初にヨーロッパに紹介したと考えられています。
1692年、ケンペルが長崎から持ち帰った種子は、オランダのユトレヒトやイギリスのキュー植物園で栽培されました。18世紀にはドイツをはじめヨーロッパ各地での植栽が進み、1815年にゲーテが「イチョウの葉」と名付けた恋愛詩を詠んでいます。
現在では、イチョウは米国東海岸で特によく見る木の一つとなりました。各国の植物園でもよく見られ、盆栽としても栽培されています。イチョウは野生では絶滅が危惧される状態かもしれませんが、世界中で人気のため、絶滅することはないでしょう。
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